1.11月初旬、“あの3連休”はテストとセットだった
11月初旬。
朝の空気に、ほんの少し冬の気配が混じり始める頃。
カレンダーには、赤い丸が3つ並んでいました。
- 土曜日
- 日曜日
- 祝日の月曜日
そして、その最終日――
月曜日には、さらにもう一つの印がついていました。
「全国統一小学生テスト」
年に二度の、大きな節目。
今の自分の位置を全国規模で測る、“定点観測”の日です。
つまりこの3連休は、
- 1日目:テスト2日前の追い込み
- 2日目:テスト前日の最終調整
- 3日目:全国統一小学生テスト本番
という、**丸ごと「テストとセットの3日間」**でした。
そして、その3日間が終わったあと、
机の片隅に残されたものがあります。
それが――
長さを半分以下にした、一本の鉛筆と、もう一本分の削りカス。
3連休で鉛筆1本半。
その数字の裏側には、
テスト前とテスト当日、さらに結果が返ってきた今に至るまでの
子どもの「努力」と「感情」と「成長」の物語が刻まれています。
2.1日目:まだ息ができる助走の土曜日
3連休初日の土曜日。
テストは月曜日。
“いよいよ明日”ほどの緊迫感はまだありません。
それでも、朝から子どもは自然に机に向かっていました。
- 四谷大塚の問題プリント
- 間違えた問題だけを集めた「やり直しノート」
- 計算・漢字の基本メニュー
- 読解の長文、思考系の問題集
鉛筆を握る手には、
“誰かにやらされている感じ”があまりありません。
もちろん、途中で集中が途切れる瞬間はあります。
- 難しい問題にぶつかって、鉛筆の先で机をトントン叩く。
- 消しゴムで何度も消して、紙が少しだけ毛羽立つ。
- 「うーん」と唸りながら、天井を見上げて考え込む。
それでも、少し休憩すると、
またスッとノートに視線が戻っていく。
この土曜日は、
“追い詰められている”というよりも、
「自分の足で、助走を始めた日」
だったように思います。
この時点で、鉛筆は少しだけ短くなりました。
でもそれ以上に、
「テストに向かう心のエンジン」が静かに温まり始めていたのだと思います。
3.2日目:ギアを一段上げた日曜日――弱点と向き合う時間
2日目の日曜日。
いよいよ、テスト前日。
朝の表情からして、前日とは少し違います。
- 「今日の時間をどう使うか」を、自分なりに考えている顔。
- 「あれもやりたい、これも確認しておきたい」と
心の中でチェックリストを持っているような目。
◆ 弱点をつぶす、“地味で苦い”勉強
この日は、どうしても「苦手」と向き合う時間が長くなります。
- 過去のテストの間違い問題を、もう一度解いてみる。
- 解説を読み返し、「どこで考え違いをしたのか」をたどる。
- ミスしやすい計算パターンを、集中的に解き直す。
- 国語の設問で、選択肢を最後まできちんと読む練習をする。
こうした作業は、正直いって“派手な成果”は見えにくいです。
でも、テスト前日に一番効いてくるのは、
この**「地味で苦い勉強」**だったりします。
子どもは、
本当はもっと楽しいことだってできたはずです。
我が家にはテレビはありませんが、
だからこそ、別の誘惑はいくらでもあります。
- 好きな本や漫画を、心ゆくまで読みふけることだってできる。
- 積み木や工作、お絵かきに没頭することもできる。
- ソファでゴロゴロしながら、おしゃべりして過ごすことだってできる。
それでもこの日は、
「まずはテストのことをやる」という選択を、
何度も何度も自分にさせていたのです。
◆ 午後、鉛筆が一気に短くなっていく
とくに午後。
鉛筆は目に見えて短くなっていきました。
- 同じ問題を二度三度と解き直す。
- 途中まで書いた式を、「違う」と気づいて消す。
- 国語の問題で、選択肢に丸をつけては消し、また書き直す。
そのたびに、鉛筆削りの音が小さく響きます。
ガリガリ、ガリガリ。
芯が削られ、その芯で書かれた文字が紙を埋め、
消しゴムで消され、また新しい文字が刻まれる。
日が傾く頃、ふと見ると、
鉛筆は明らかに“テスト前の顔”になっていました。
この短さは、間違いなく、
「自分の弱点と真正面から向き合った時間の長さ」
そのものでした。
4.3日目:テスト当日――鉛筆は「戦友」になっていた
3連休最終日の月曜日。
全国統一小学生テスト本番。
朝、まだ外が少し冷たい時間に目を覚まし、
いつもより少しだけ真剣な顔で身支度を整える。
筆箱を開けると、
短くなった鉛筆が、そこにいます。
- この3日間で、何度も何度もページを進めた相棒。
- 間違いも迷いも、全部一緒に経験してきた道具。
- 手に持った瞬間、3日間の記憶が少しよみがえるような一本。
テスト当日の朝、その鉛筆はもう
**ただの文房具ではなく、「戦友」**になっていました。
◆ 会場へ向かう道のりで
会場に向かう道のり。
車の中には、独特の静けさがあります。
- どこか落ち着かないようでいて、
- でも、過度な不安ではなく、
- 「ここまでやった自分」で立とうとしているような表情。
親としては、
何かひとこと背中を押してあげたくなります。
でも、
「楽しんでおいで」と言えるほど軽いテストでもなく、
「頑張っておいで」と言わなくても、
もう十分に頑張っていることも分かっている。
結局、こんな言葉になるかもしれません。
「3日間、本当にようここまでやったね。
今日のあなたなら大丈夫。
あとは、この鉛筆と一緒に、いつも通り行っておいで。」
短くなった鉛筆は、
握りしめたその手の中で、
静かに子どもの緊張を受け止めてくれていたはずです。
5.結果はもう返ってきた――その紙と、鉛筆を見比べる
そして今。
全国統一小学生テストの結果は、すでに返ってきています。
- 得点
- 偏差値
- 全国順位
- 各単元ごとの正答率
きれいに印刷された結果票は、
一目でその日の「数字の姿」を見せてくれます。
親としては、つい数字に目が行きます。
- 「ここはよくできている」
- 「ここはまだ伸びる余地が大きい」
- 「前より上がった/下がった」
分析したくなるのは、
決して悪いことではありません。
むしろ、それも親の大事な役割です。
でも、その紙を見つめるとき、
ふと視線を横にずらすと――
机の端に、あの短くなった鉛筆が転がっている。
数字の紙と、短い鉛筆。
どちらにも、
あの3日間とテスト当日の「結果」が刻まれています。
ただ、刻まれているものの種類が違うのです。
- 結果票には、「その日、その教科、その範囲での実力」が数字で刻まれている。
- 鉛筆には、「その数字に向けて積み重ねた時間」が、目に見える形で刻まれている。
どちらも、本物です。
どちらも、嘘はつきません。
だからこそ、
どちらか一方だけを見てしまうのではなく、
両方を並べて見つめることが大事なのだと思います。
6.数字の読み方を決めるのは、「3連休の物語」
同じ偏差値でも、
そこに至るまでの「物語」が違えば、
まったく意味が変わってきます。
- ほとんど準備せず、ぶっつけ本番で受けた数字
- 3連休をまるごと、鉛筆1本半を削るほどの集中で迎えた数字
前者の数字は、
「今のポテンシャルのスナップショット」に近い。
後者の数字は、
「努力も含めた、現時点でのベストショット」に近い。
わが家の11月初旬の3連休は、明らかに後者でした。
だからこそ、
結果票を見たときに大事なのは、
「高いか低いか」だけではなく、
「この鉛筆1本半の物語と比べて、どう感じるか」
です。
- 「ここまでやって、この数字なんだ」
→ それは、今の課題がくっきり見えたということ。 - 「ここまでやったから、この数字まで来られたんだ」
→ それは、努力がちゃんと数字に乗り始めているということ。
どちらにしても、
数字はゴールではなく、次の一歩への地図にすぎません。
その地図をどう読むか。
それを決めるのは、
あの3連休に何をしていたか、という“物語の側”なのです。
7.「誘惑と戦った3日間」ではなく、「選び続けた3日間」
テスト前の3連休というと、
つい「誘惑との戦い」の話になりがちです。
でも、我が家にはテレビがありません。
「テレビを見たい気持ちに打ち勝って…」という物語は、そもそも存在しない。
その代わりに、
子どもには別の「したいこと」がありました。
- 好きな本を、ただ物語の世界に浸って読む時間
- 絵を描いたり、工作をしたりする遊びの時間
- 家族と何気ないおしゃべりをして過ごす時間
- 布団やソファで、何もせずにゴロゴロする時間
どれも、
「やってはいけないもの」ではありません。
むしろ、心を豊かにしてくれる時間ばかりです。
それでも、あの3連休の1日目・2日目、
子どもは何度も何度も、
「今は机に向かうほうを選ぶ」
という選択を、自分にさせていました。
親が「させた」というより、
自分の中で、未来の自分のための優先順位を決めていた。
だからこの3日間を、
「欲望と戦った時間」
と捉えるのではなく、
「自分で『勉強するほう』を選び続けた時間」
として、心の中にしまっておきたいのです。
8.あの鉛筆は、「正しい我慢」を覚えた証拠になったか
あの3連休で、
子どもはたしかにたくさん我慢をしました。
- 「今は読みたい本を後回しにする」という我慢
- 「うまくいかない問題から逃げない」という我慢
- 「もう一度、間違えたところと向き合う」という我慢
でも、その我慢は
「自分を傷つける我慢」ではありませんでした。
- 終わったあと、子どもの表情には
少しだけ誇らしさが混じっていた。 - テストが返ってきた日に、
「ここ、次はもっと取りたい」と自分から言葉が出てきた。 - 「もう二度と受けたくない」ではなく、
「次はこうしたい」という前向きな話ができた。
そうであるなら、
あの3日間の我慢はまさに
「未来を強くするための、正しい我慢」
だったのだと思います。
親としては、
「もしかして頑張らせすぎたかな」という不安も、
心のどこかにあったはずです。
だからこそ、
結果票と鉛筆を前にした今、
「あのときのあなたの我慢は、“自分を大事にしたまま頑張る”ほうの我慢だったよ」
と、そっと伝えてあげたいのです。
9.「鉛筆1本半」を、次のテストへの“物語の種”にする
11月の全国統一小学生テスト。
結果も返ってきた今、
この出来事は一つの「完結したエピソード」になりました。
でも、ここで終わりではありません。
この「鉛筆1本半」のエピソードは、
次のテスト、そのまた次のテストへと続く “物語の種” になります。
たとえば、次に6月のテストを迎えるとき。
- 「前の11月は、3連休で鉛筆1本半だったよね。今回はどうする?」
- 「前回は前日にちょっと詰め込みすぎたから、今度は1週間前から少しずつやろうか」
- 「あのときより、ちょっとだけ賢い頑張り方にしてみよう」
そうやって、
「過去の自分の頑張り方を、次の自分の頑張り方に活かす」
という視点が育っていきます。
テストのたびに、
ただ数字だけを追いかけていると、
子どもの心はいつか息切れしてしまう。
でも、「鉛筆1本半」のような物語が積み重なってくると、
子どもはやがて自分でこう考えるようになります。
「自分は、こういう準備の仕方で、こういう結果になる」
「次は、こう変えたらどうなるだろう」
それは、
**「自分の勉強の仕方を、自分でデザインする力」**の始まりです。
10.最後に――数字だけでなく、「短くなった鉛筆」も一緒に見ていたい
全国統一小学生テストの結果票は、
いずれどこかにファイリングされ、
何枚も重なっていくでしょう。
その中で、
11月初旬の3連休の紙はきっと、
ほかの結果票と同じように並んでしまうかもしれません。
でも、
あのとき短くなった鉛筆は、
できれば簡単には捨てたくない一本です。
ペン立ての片隅でも、
小さな箱の中でもいい。
ふとしたときに見つけて、
親子でこんな会話ができたら素敵だなと思います。
「覚えてる? この鉛筆。
全国統一小学生テストの前の3連休で、
1本半削ったときのやつだよ。」
子どもが笑いながら、
「あのとき、めちゃくちゃ頑張ってたもんね」と言えるなら――
その一言こそが、
数字よりもずっと長く残る「静かな誇り」です。
努力できる子は、強い。
そして、
自分の努力の物語を、自分で覚えていられる子は、もっと強い。
3連休で鉛筆を1本半削ったあの日。
その日のことを、結果票の数字だけでなく、
短くなった一本の鉛筆とともに、
わが家の小さな記憶として、これからも大事にしていきたい――
そんなふうに思っています。

