夕暮れ、玄関で泣く子ども──かつての日常のひとコマ
まだ陽の残る夕方。
家の前で、ぽつんと膝を抱えて泣いている子ども。
昔は、そんな光景があちこちにありました。
家の中からは、「外で反省してなさい!」というお母さんの声。
子どもは鼻をすすりながら、でもどこか強がるように玄関先にしゃがみ込み、涙を流している。
通りすがりの大人たちは、事情を察し、
「怒られたんだな」とクスリと笑いながら、そっと通り過ぎていく──。
それは叱る親と、泣く子どもと、見守る町がつくる、あたたかな風景でした。
でも、最近。
そんな場面を、すっかり見かけなくなったと思いませんか?
なぜ見なくなったのか──「玄関で泣く子ども」が消えた理由
■ 子育ての価値観が大きく変わった
昔は「叱ること」がしつけの一部とされていました。
怒られた子どもは泣いて反省し、やがてケロッと立ち上がる。
それが当たり前だった時代。
でも今は、「怒らずに寄り添う育児」が主流です。
感情をぶつけるよりも、共感的に関わることが良しとされ、
厳しく叱る親は「怒りっぽい人」として見られてしまうことも。
親が怒らない。
だから、子どもも泣かない。
そもそも「外に出して反省させる」ようなしつけが消えてきたのです。
■ 家のつくりと、防犯意識の変化
さらに家の構造にも変化が。
昔は、開けっぱなしの引き戸越しに、家の中の声が聞こえたものです。
でも今は、防犯重視の時代。
オートロック、目隠しフェンス、外から様子が見えない設計。
怒られて泣いていても、外からはまったく分かりません。
「見守るまなざし」が入り込める余地すらなくなってしまったのです。
■ 子どもたちの感情表現が変わってきた
もうひとつ。
子ども自身の“泣き方”にも変化が起きています。
今の子は、泣く前にスマホやゲームで気をそらされます。
悲しみや怒りを「動画」や「デジタル」で受け流し、
泣いて感情を出すという“出口”を使わなくなったのです。
言い換えれば、「泣かなくて済む子育て」ではなく、
「泣けなくなった子ども」が増えているのかもしれません。
本当は泣いていた、あの子どもたちへ
あの頃、玄関先で泣いていた子どもには、
悔しさも、寂しさも、そして「誰かに見てほしい」という想いも、きっとあった。
でもそれを、近所のおじさんおばさんが、黙って受け止めてくれていた。
「がんばれよ」「大丈夫だよ」
そんな声なき応援が、町にはあったように思います。
今の町は静かです。
とても静かで、整っていて、トラブルもなくて──
けれど、ちょっと寂しい。
怒られて泣く。
悔しくて泣く。
でも、泣いてスッキリして、また歩き出す。
それは、子どもたちが心を耕していくために、大切な時間だったのではないでしょうか。
静けさの中に、少しの孤独があるのかもしれない
もちろん、今の時代の子育ても、素晴らしい部分があります。
怒鳴らずに対話する、共感して向き合う、叱るより一緒に考える──
それもまた、子どもの尊厳を守る素敵なスタイルです。
でもふと、思うのです。
「泣いていいよ」「怒られてもいいよ」「反省してまた進めばいいんだよ」
そんな空気が、町の中から少しずつ減っている気がして。
泣きたいときに、ちゃんと泣ける。
怒られても、ちゃんと立ち直れる。
そんな「不器用な感情の出し方」こそ、健やかに生きる力なのだと、思わされます。
玄関先で泣いていた、あの子どもたち。
いま、どこで、どんなふうに、自分の気持ちと向き合っているのでしょうか。
🌱まとめ
かつて当たり前だった「泣く子ども」の姿が見えなくなった今。
私たち大人は、何を失い、何を得てきたのでしょうか。
静かな町の中で、
ふと、あの泣き声が聞こえたような気がしました。

