■“思考力”は、自然の中で目覚める
「川遊び? 遊んでる暇なんてあるの?」
そう思う方もいるかもしれません。
でも私は、こう答えたいのです。
「川に立つ時間こそ、子どもの思考が一番深く動いている時間です」
計算ドリルも、記述問題も、もちろん大切。
でも、それだけでは育たない「目に見えない力」がある。
そしてそれは、自然の中にこそ宿っていると、私は確信しています。
■川がすぐそばにあるという、ありがたい環境
我が家には、週末ごとに通っている場所があります。
山の中にある静かな家で、近くには鳥の声が響き、空気が透き通るような場所です。
そして、その家のすぐ裏手に、小さな清流が静かに流れています。
そこは誰かに整備されたレジャースポットではありません。
石はゴツゴツ、苔も生え、浅いところもあれば急に深くなるところもある。
でも、その“完璧ではない自然”こそが、子どもの脳を目覚めさせる最高の教材なのです。
■川遊びが「学び」になる3つの理由
① 五感が同時に動くと、脳はフル回転する
川に足を入れた瞬間、子どもは大声を上げます。
「つめたっ!」「うわっ、すべる!」
「みてみて、魚いた!」「ここ、ぬるい水!」
水の感覚、石の硬さ、音の広がり、光の反射──
五感すべてが、同時に動き出す。
脳はこのとき、机に向かっているときよりもはるかに広範囲で活動している。
言葉にならない“感覚の記憶”が、深く刻まれていく。
これは、計算や暗記では鍛えられない、
**「身体を通して考える力」**です。
② 危険を判断しながら遊ぶから、“思考”が生まれる
川は安全とは言えません。
深くなる場所、ぬるぬるした石、想像より強い流れ──
大人でも、気を抜けば簡単に転びます。
でもだからこそ、子どもは考える。
「ここは行けるか?」
「この石は滑りそうか?」
「流されないように、どう立てばいいか?」
これは、受験算数の「条件整理」とまったく同じ構造です。
違うのは、身体を使って、命をかけて考えているということ。
そんな経験が、ただのパターン処理ではなく、自分で考え抜く力の根っこを育てます。
③ 予定通りにいかない中で、解決力が育つ
川遊びは、トラブルの連続です。
- サンダルが流された
- カニが逃げた
- 小石のダムが崩れた
- 思ったより水が冷たくて震えた
でも、子どもはあきらめない。
むしろ、そこから創意工夫が始まる。
「木の枝で引っ掛けて取ろう」
「今度はもっと大きな石でダムを作ろう」
「足が冷たいなら、日向に石を並べて休もう」
そうやって、現実と折り合いをつけながら、何度でも挑戦する。
この“くり返し”こそが、「困ったときに思考を止めない子」をつくるのです。
■その日記には、すべてが詰まっていた
ある日、川遊びのあと、娘がこう書きました。
「今日は、カニを見つけたけど、最後ににがした。来年もまた会えるといいな。」
「石の橋をつくったら、だんだん水の流れが変わってきて、すごくうれしかった。」
「お父さんがいっしょに笑ってくれたのが、いちばんたのしかった。」
それは、構成も語彙も完璧とは言えない文章かもしれません。
でも、私はこう思いました。
「この子は、今日、“生きた記憶”を手に入れた。」
そしてその記憶は、作文にも、説明文にも、物語にも、
やがて必ず形を変えて活きてくるのです。
■“教える”のではなく、“共に遊ぶ”ことの力
我が家では、川遊びのとき、親も一緒に入ります。
- 石で水路をつくり、流れを変えてみる
- 葉っぱの競争をして、流速を比べる
- 静かなところで、石の音を聞く
大人が本気で遊ぶ姿は、
「学びは楽しい」というメッセージそのものです。
親が真剣に向き合えば、子どもも全力になる。
それは、勉強においても同じです。
■結論:川遊びは、“未来の勉強”の土台になる
夏が来るたびに、私たちは川へ向かいます。
それは、特別なイベントではありません。
生活の延長にある、自然との対話です。
- 流れを読む力
- 危険を判断する力
- あきらめず工夫する力
これらすべてが、受験の先にある“人生そのもの”を支える力になります。
机に向かう勉強も大切。
でも、外で本気で遊ぶことも、同じくらい大切。
だから私は、この夏も、川に入ります。
娘と手をつなぎ、笑い、考え、感じ合いながら──
この子の未来にとって、いちばん深く残る「学びの瞬間」を刻むために。

