■ “体験”があるから、言葉が生きる
「どうして、日記が続かないのか?」
多くのご家庭で一度は悩むこの問いに、我が家が出した答えはシンプルでした。
「心が動く体験がないと、言葉は動かない」
毎日似たような風景、変化のない過ごし方、予定調和の学習── どれも大切です。でも、そこに“揺さぶられる何か”がなければ、子どもの心は「書きたい」という方向に動きません。
「書く力」とは、単に文章を整える能力ではありません。 それは、内側からあふれる何かを「伝えたい」と願う力であり、そしてその情熱を言葉に変換していく知的活動です。
だからこそ、我が家は自然に向かうのです。川へ行き、森へ入り、風に触れ、土のにおいを吸い込み、水に足を入れる。
全身の感覚が研ぎ澄まされたそのとき、子どもは“本当の学び”に入っていきます。
そしてその直後、ノートを開きます。心が動いた直後に、書く。 この順序が、子どもの文章を根本から変えました。
体験という“素材”があって初めて、言葉という“形”が生まれます。素材のないところに形は生まれません。これは、書くという行為の本質です。
加えて、自然の中で起こることは、人間のコントロールを超えた“偶然性”に満ちています。
- 魚が捕れなかったときのくやしさ
- 思わぬところで転んで濡れたときの驚き
- 流れる葉っぱを眺めていたときに感じた静けさ
これらは、決して家庭の中だけでは得られない“揺さぶり”です。
その揺さぶりが、言葉を引き出す力を持っている。
だからこそ、我が家では「まず体験ありき」で日々を設計しているのです。
■ 川遊び→日記→記述力 のゴールデンルート
自然体験は、最高の作文教材です。
- 五感の刺激(冷たさ・光・音・におい・感触)
- 想定外の連続(転ぶ・流される・逃げられる)
- 感情の揺れ(怖い・嬉しい・くやしい・やってみたい)
これらがすべて、子どもにとっての“言葉の種”になるのです。
人は、自分の感情に名前をつけたとき、はじめてその感情を「理解した」と言えます。
そして、言葉を通してその感情を“誰かに伝えたい”という思いが芽生えたとき、文章は「表現」へと進化します。
我が家では、川から帰ったあとに「なにが一番印象に残った?」とだけ聞きます。
そこに答えるだけで、もう1つの物語が始まるのです。
「今日は、魚をつかまえたけど、すごくぬるぬるしていて、こわかった。」 「おとうさんが、すごい声でさけんでいて、おもしろかった。」 「水がすごく冷たくて、石にすわったとき、おしりがしびれた。」
こうした一文一文には、体験の“本物の温度”が宿っています。
そして、それが言葉になることで、子どもは再びその体験を“もう一度味わう”ことができる。書くとは、記憶の中にもう一度入っていく知的旅なのです。
ここから文章量が自然に増え、構成を意識し始め、描写が洗練され、やがて比喩や抽象化が出てくる。
書くことに対して「自分なりの方法」が芽生えはじめたとき、子どもは書くことを“好き”と感じるようになります。
そして、その「好き」は、長期的な記述力を支える強力な燃料になるのです。
■ “書きたくなる”を引き出す3つの仕掛け
1. 「どの場面をもう一度やりたい?」
この問いは、子どもにとっての“再体験”への扉です。
言葉とは、記憶を再現するための道具でもあります。
「どこが楽しかった?」という問いより、「どの場面をもう一度やってみたい?」という問いは、子どもの頭の中に映像を浮かばせます。
その映像が鮮明であるほど、言葉もまた鮮やかになる。
体験の再現=記憶の再構築=物語の始まり。
この流れを支えるのが、この質問の力です。
2. 「写真を見ながら書こう」
写真は、体験のカプセルです。
1枚の写真に、5つの感情が封じ込められていることもあります。
「このとき、どう思った?」という問いかけと一緒に、写真を見せながら言葉を引き出します。
驚くほど多くの記憶がよみがえり、子ども自身が驚いた表情を浮かべることもあります。
その瞬間、書きたい気持ちは加速します。
3. 「お父さん・お母さんも書く」
子どもが文章を書く姿を、親が「見ているだけ」では、信頼は育ちにくいものです。
書くとは、感情をさらけ出す行為でもあります。
それを家族間で共有することは、関係の深まりにもつながります。
「今日は、あなたが水に飛び込むとき、すごく勇気がいるんだろうなって思って、心の中で応援してたよ」
親のそんな言葉を読んだとき、子どもは自分の小さな挑戦が、ちゃんと見守られていたことを知ります。
この“見守られている感覚”こそが、次の表現の一歩を支えてくれるのです。
■ 添削は、“傷つけずに引き上げる”
「よくできました」だけでは、子どもは成長しない。
「ここがダメ」だけでも、子どもは書くことを嫌いになる。
だからこそ、我が家では「共感」と「提案」をワンセットにして返します。
「この“びっくりした!”っていう言葉、ほんとうに気持ちが伝わってきたよ。でも、どんな風にびっくりしたのか、もう少し書いてみたら?」
そういうふうに伝えることで、子どもは「この人は、私の気持ちを理解してくれてる」と思う。
そのうえで「もっとよくするには?」という視点が、自然に受け入れられるのです。
言葉を育てるとは、人格を育てることでもあります。
「言葉を大切にされる経験」を重ねた子は、やがて他人の言葉も大切にできるようになります。
■ “感じる”→”表現する”を日常に
自然体験は非日常であると同時に、家庭教育の“最高の教科書”です。
冷たい水に触れたときの驚き、思い通りにならない悔しさ、できた瞬間の誇らしさ──
それらを自分の中にとどめるだけでなく、**「誰かに伝えたい」**という気持ちが芽生えたとき、書く力は大きく伸びていきます。
我が家では、体験したあとに言葉を添え、言葉にしたらまた外に出て──という循環を意識しています。
遊ぶ → 感じる → 話す → 書く → 伝える → また感じる
この循環が回り始めたとき、子どもの書く力は“作文練習”では得られない深みを持つようになります。
作文ではなく、言葉の表現者になるのです。
そしてその表現力は、受験、学力、社会性──あらゆる場面で、子どもを支える“思考の翼”になるのです。
書くことは、未来への投資です。 それは小さな鉛筆の一文字から始まり、やがて世界とつながる力になる。
その最初の一歩として、今こそ自然の中に身を投じ、心を揺さぶられる体験を──
そして、それを「言葉にする」習慣を、親子で育てていきましょう。
書くとは、思い出を“未来の言葉”に変えること。
書くとは、今ここにある命の瞬間を“他者と分かち合う手紙”にすること。
この夏、あなたのお子さんが書くその一文が、未来の自信の源になりますように。

