はじめに:努力しているのに、なぜか冷たい視線を感じるとき
子どもが一生懸命勉強しているのに、周囲の反応がいまいち。
むしろ、「頑張ってるね」と言われるよりも、距離を取られたり、陰で言われたり。
そんな違和感を覚えたことはないでしょうか。
子ども本人だけでなく、親である私たちも、ときに感じるこの“空気”。
「頑張ってる子」が、なぜか好かれない。
まるで、出る杭は打たれる――そんな日本的空気に、子どもがさらされる瞬間。
でも、私は声を大にして言いたい。
それでも、勉強は続けていい。
むしろ、そこで立ち止まってしまう方が、未来を狭めてしまう。
周囲の「いい顔しない反応」の正体
努力をしている人を前にして、人は無意識に“自分を守る”心理が働きます。
- 「あの子ばっかり頑張って、ずるい」
- 「そんなに頑張らなくても…っていうか、空気読んで」
- 「親が厳しいんじゃない?」
これらは、嫉妬・焦り・自尊心の揺れの表れです。
実際、我が家でもありました。
全国模試で上位の成績をとった後、娘のまわりの空気が少しだけ変わったのです。
仲の良かった子に「え?そんなに勉強してるの?つまんなそう」と言われ、娘はその晩、ぽつりとつぶやきました。
「なんで頑張ってるだけで、イヤな気持ちになるのかな…」
この言葉に、胸が痛くなりました。
でも、私は答えました。
「それはね、きっと、あなたが『一歩進んだ』からだよ」
あなたが前に進んでいる証拠であり、進んでいない人から見れば“脅威”に映るということ。
だからこそ、気にする必要はない。
むしろ、そのまま歩き続けることが、何より大切なのです。
他人は、あなたの人生の責任を取ってくれない
これは、私自身が幾度となく痛感してきたことです。
「空気を読んで」周囲に合わせた結果、将来に何が残るのでしょうか。
その“空気”は、あなたの進路や人生の責任を取ってくれるのでしょうか?
答えは、明白です。誰も、あなたの人生の責任なんて取ってくれません。
だからこそ、自分で考え、自分で努力し、自分で未来を切り拓くしかないのです。
勉強すれば、知識が増えます。
知識が増えれば、選べる道が増えます。
選べる人生は、自由です。自由は、力です。
それを放棄してまで、「いい顔されたい」と願うのは、本末転倒です。
子どもにこう伝えたいのです。
「誰かのご機嫌を取るために生きるのではなく、あなたの人生を自由に選ぶ力を持ってほしい」
そして、我が家もまさにこの現実と向き合っています。
近所の方々の中には、娘が一人で黙々と勉強している様子を見て、あまり良い顔をされない方もいます。
「応援してるよ」と言いつつも、その雰囲気は明らかに面白くなさそう。
なぜなら、娘が“自分の意志で”勉強しているからです。
強制されてやっているのではなく、好きでやっている。
その姿が、逆に不快なのかもしれません。
でも、いいのです。
近所の方は、娘の人生の責任を取ってくれません。
人生の面倒を見てもらえません。
そして、娘はその方々のヘルパーでも、癒しでも、タレントでもありません。
娘には娘の生き方があり、自分の未来がある。
やるべきことを、淡々とやる。それだけです。
誰に見られようと、どう思われようと、揺るがない信念とメンタルを持つことが、何よりの強さです。
「あなたの生き方に、他人の承認は不要だよ」
そう、私は娘に何度も語りかけます。
嫉妬されてもいい。成績アピールなんて、必要ない
努力する人が嫌われるのは、努力できない人にとって“居心地が悪くなる”から。
だから、わざわざ勉強していることをアピールする必要もありません。
- 成績を見せびらかす必要もない。
- 問題集を堂々と机に置かなくてもいい。
- 「自分がどれだけやっているか」を説明する義務もない。
静かに、淡々と、自分のやるべきことをこなす。
それだけで、十分にかっこいい。
ある日、娘がテストで満点を取った時、「〇〇ちゃんには内緒にしておく」と言いました。
なぜ?と聞くと、「前に言ったら、冷たくなっちゃったから…」と。
私はそのとき、「じゃあ黙っていていいよ。でも、家では思いっきり喜ぼうね」と伝えました。
本当に大切なのは、誰にどう見られるかじゃなくて、自分がどう感じるか。
家の中では、誇っていい。思いっきり拍手してあげていい。
でも外では、静かに燃えていればそれでいい。
年長者でも、足を引っ張る人はいる。
ここで忘れてはならないのが、年齢や立場に関係なく、妬む人は存在するという現実です。
- 「まだ子どもなのに、そんなにやらせて可哀想」
- 「そんなに早くから勉強して、燃え尽きないの?」
- 「どうせ続かないよ」
こうした“見下し”や“マウント”は、しばしば年上からも飛んできます。
それが教師であっても、親戚であっても、ママ友であっても。
ある保護者会で、「あそこの子は受験させるらしいよ」とひそひそ話しているのを耳にしたことがあります。
その話の中に、我が家の名前も混じっていました。
あたかも“異質な存在”として扱われているようで、胸の奥が冷えたのを覚えています。
でも、それでいいのだと思いました。
人と違う道を進むなら、違って見られるのは当然。
他人の不安や価値観で、わが子の未来を狭めてはいけない。
ましてや、頑張っている子の心を曇らせるような言葉に、振り回されてはいけない。
距離を取ってください。毅然と、冷静に。
“全員が善人ではない”という現実を認識したうえで、
その中でも、静かにまっすぐ進む道を選ぶこと。
それが、強く生きるということです。
終わりに:善意を期待せず、静かに燃え続けよう
人の善意に期待しすぎない。
嫌なことを言う人がいたら、心のシャッターをそっと下ろす。
そして、自分がすべきことに、また静かに戻る。
その繰り返しの中で、子どもは「他人に振り回されない軸」を育てていく。
努力を笑う人より、努力を続ける人の方が、圧倒的に強い。
嫉妬されても、文句を言われても、いい顔されなくても、
一歩ずつ前に進むことこそが、本当の強さです。
勉強しているあなたの姿は、きっと誰かが見ている。
でも、それよりも何よりも、**「自分自身が、自分を誇れるかどうか」**が大切です。
だから今日も、静かにページをめくろう。
誰に見られなくても。誰に褒められなくても。
あなたの未来が、確かに変わっていくから。
きっと、もっと輝ける場所があなたを待っている。
今のがまんは、未来の歓喜につながっている。
🌱 子どもが努力していることを、どうか誇ってください。
その姿勢こそが、何よりも美しく、力強いのです。

