子どもの予定を書き込んだ手帳を眺めながら、ふと気づくことがあります。
「このスケジュールを回している“親本人”のメンテナンスは、どこに入っているんだろう」と。
在宅勤務。
小2の子育て。
家事・学校行事・宿題のフォロー。
これだけで、すでに十分フルコースです。
そこに近所づきあい、親としての判断、将来のことを考える時間まで乗ってくると、
親の頭と心は、常にフル回転になります。
油断すると、心も体も一気に「ショート」します。
だから私は、あるところで腹をくくりました。
「親が壊れたら、家庭ごと止まる」
だからこそ、親のメンテナンスは“贅沢”ではなく“必要経費”だと。
ここでは、小2の親である私が、
何とか倒れずに毎日を回すために続けている、現実的なメンテ習慣を書いてみます。
在宅勤務+子育て+家事…親も過密ダイヤで動いている
子どもだけが忙しいわけではありません。
ある意味で、親の方がよほど「詰め込み時間割」です。
- 在宅での本業
- 朝晩の家事・洗濯・買い物
- 宿題や家庭学習のサポート
- 学校からのお便りや提出物の管理
- 行事・面談などのスケジュール調整
全部ちゃんとやろうとすると、
24時間では足りません。どこかで「削る」必要が出てきます。
一番手っ取り早く削れるのは、自分の時間です。
睡眠・休憩・趣味・ぼーっとする時間。
ここを削れば、たしかに予定はこなせてしまいます。
でも、それを続けた先にあるのは、
- 常にイライラしている親
- 体調を崩して寝込む親
- 子どもの前で笑顔が作れない親
です。
子どもにとっての“環境”とは、
家の広さでも、教材の数でもなく、
**一番よく一緒にいる大人の「表情」と「機嫌」**です。
だから私は、「自分が倒れない最低ライン」を決めて、
そこだけは意地でも守るようにしました。
① 毎日の徒歩習慣――「心も頭も整理する、移動する瞑想」
まずは 毎日の徒歩。
特別な運動というより、「生活の中の徒歩距離」を意識して増やしています。
目安はだいたい、1日トータルで5キロ弱。
- 子どもの送り迎え
- 買い物
- ちょっとした用事
車で行けてしまう距離でも、
「歩けるときは歩く」を基本にしています。
歩いている間は、
- その日の予定の優先順位を静かに整理したり
- 子どもの様子を思い返したり
- さっき言い過ぎたかもしれない…と反省したり
自然と「思考の整理」の時間になっていきます。
イヤホンから情報を詰め込むのではなく、
あえて何も聞かず、
足音と呼吸だけを感じる時間。
徒歩は、無料でできる「移動する瞑想」だと感じています。
② 自宅筋トレ――「未来の自分への、ちいさな積立貯金」
次は 筋トレ。
といっても、ジムに通うような立派なものではなく、
在宅でできるシンプルなメニューです。
- 腕立て伏せ
- スクワット
- 体幹トレーニング など
一回あたりの時間は、長くて15〜20分。
それでも、毎日少しずつ積み重ねると、体が確実に変わってきます。
筋トレをしていて一番ありがたいのは、
「疲れにくくなる」こと。
- 布団を干して、取り込んで、シーツを替えても、腰が悲鳴をあげにくくなる
- 子どもと全力で遊んでも、翌日に致命的なダメージが残りにくくなる
- 在宅勤務で長時間座っても、肩こりや頭痛が出にくくなる
これは、地味ですがものすごく大きい変化です。
筋トレは、「未来の自分への健康貯金」。
今日の数分が、
数年後の自分と家族を助けてくれると思うと、
面倒くささとも何とか付き合えます。
③ 2分瞑想――「心のエンジンをいったんニュートラルに戻す」
私は、毎日ほんの 2分だけの瞑想 を続けています。
たった2分です。
アラームをセットし、目を閉じて座り、呼吸だけに意識を向ける。
- 「吸っているな」
- 「吐いているな」
それだけを感じる時間です。
やってみると分かるのですが、
2分ですら、意外と長い。
「あ、あのメール返してなかった」
「今日の夕飯どうしよう」
「明日の持ち物、大丈夫かな」
いろいろな雑念が出てきます。
それに気づいたら、「あ、考えてたな」と気づいて、
また呼吸に戻る。
この地味な練習を重ねると、
日常生活の中でも、
- イラッとした自分に気づくのが早くなり
- 反射的に怒鳴る前に、一拍置けるようになります。
瞑想は、
心のエンジンが空ぶかしになりそうなときに、
一瞬ニュートラルに入れ直すための、小さなスイッチです。
④ ジャーナル――「自分の機嫌を、自分で引き受けるノート」
最後は ジャーナル(振り返りノート)。
毎日必ず、とは言いません。
それでも、心がざわついた日ほど、ノートを開くようにしています。
- 今日うまくいかなかったこと
- 子どもに言い過ぎてしまったこと
- 家事や仕事で抱え込んでしまったモヤモヤ
- 逆に、嬉しかった一言や、小さな達成感
とにかく、頭の中に渦巻いているものを、
文字にして外に出していきます。
書いているうちに、
- 「あ、これは単に自分が疲れていただけだな」
- 「ここは、子どもに謝った方がいいな」
- 「これは運のせいではなく、準備不足だったな」
と、感情と事実が少しずつ分かれていきます。
ジャーナルは、「自分の機嫌を、自分で引き受けるためのノート」。
子どもの前で爆発させる前に、
一度ノートの上でクールダウンしておく。
それだけでも、家庭の空気はだいぶ変わります。
キラキラじゃなくていい。「倒れない最低ライン」を決める
ここまで書くと、
「なんだか意識高い生活だな」と思われるかもしれませんが、
実態はもっと地味で、もっと揺れています。
- 疲れ切って、筋トレをサボる日もある
- 徒歩の距離が伸びず、「今日はもういいや」と思う日もある
- 瞑想の2分がやたら長く感じられ、「全然落ち着かないな」と苦笑いする日もある
- ジャーナルを書く余裕すらなく、そのまま寝落ちする夜もある
それでも、「ゼロの日」をできるだけ減らす。
これを自分の中のルールにしています。
完璧なメンテナンスではなく、
「ここだけは死守する最低ライン」を決めておく。
それが、過密スケジュールの中でも倒れないための、
現実的な自己防衛だと感じています。
親が元気でご機嫌、それがいちばんの教育環境
結局のところ、
どれだけ良い教材をそろえても、
どれだけ学習計画を練り上げても、
親の心と体がボロボロだったら、
家庭はうまく回りません。
疲れきっているときの親の一言は、
いつも以上にトゲを帯びます。
- 「まだ終わってないの?」
- 「なんでこんな簡単なことができないの?」
本当は言いたくなかった一言を、
つい口にしてしまうのは、
親の“心身残量”がゼロに近づいているサインです。
逆に、親がある程度メンテされていて、
心も体も「まあ大丈夫」という状態なら、
同じ出来事を前にしても、かける言葉は変わってきます。
- 「今日はここまでにして、明日もう一回やろうか」
- 「難しかったね。でも、ここまではよく頑張ったよ」
親の一言ひと言が、
子どもの自己肯定感と、学びへの姿勢をつくっていきます。
だから私は、あえてこう言い切りたいのです。
「親がご機嫌で元気でいることこそ、
子どもにとって最大の教育環境である」と。
おわりに――親もちゃんと、生き物だから
親だからといって、
ロボットのように働き続けることはできません。
感情もあれば、疲労もある。
サボりたい日もあれば、何もかも投げ出したくなる夜もあります。
それでも、子どものためにもう一歩踏ん張る。
その踏ん張りを支えるのが、
ここまで書いてきたような 「親自身のメンテナンス」 だと思っています。
毎日の徒歩。
短時間の筋トレ。
2分瞑想。
ジャーナルでの振り返り。
どれも派手ではなく、SNS映えもしません。
けれど、この地味な積み重ねが、
親の心と体を「壊れないギリギリのライン」から、
少しだけ余裕のある場所へと引き上げてくれます。
倒れない親でいること。
できれば、笑って「おかえり」と言える親でいること。
そのためのメンテナンスを、
今日も淡々と続けていこうと思います。
