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二つの家で育つということ ――小2の子どもが“二拠点生活”から受け取っているもの

ライフスタイル
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金曜日の夕方、車のトランクには最小限の荷物と、いつものぬいぐるみ。
小さなキャリーに猫たちを入れ、エンジンをかけた瞬間から、わが家の週末が始まります。

平日は、学校にも図書館にも歩いて行ける「街の家」。
週末は、森と空にぐるりと囲まれた「高原の家」。

大人の言葉で言えば「二拠点生活」。
でも、小2の子どもにとっては、

「平日の家」と「森の家」

ただそれだけの、当たり前の日常です。

その当たり前の往復が、実はとても大きな「教育環境」になっている——
今日はそんな話を書いてみたいと思います。


平日の家:学びのリズムを刻む「根っこ」の場所

平日の朝5時。
街の家のリビングは、まだ外が暗いのに、もう机の上は明るく灯っています。

  • 百マス計算のプリント
  • 漢字の書き取り
  • 音読
  • そして、学校へ向かう支度

ここには、**生活と学びが一体化した「日常のリズム」**が詰まっています。

学校へ向かう通学路。
帰りにふらりと立ち寄る図書館。
夕方のランドセルの重さ。
テーブルいっぱいに広がるノートと問題集。

街の家は、娘にとって

「毎日が少しずつ積み重なっていく場所」

です。

ここで育っているのは、

  • コツコツ続ける力
  • 時間を意識して動く感覚
  • 「今日もやることをやり切った」という小さな自尊心

といった、目には見えないけれど一生ものの“根っこ”です。


高原の家:空気そのものが、感性を目覚めさせる場所

一方、金曜の夜に車を走らせて着く週末の拠点は、
同じ日本とは思えないほど、空気が変わります。

  • ひんやりと澄みきった空気
  • 夜、外に出れば、手を伸ばせば届きそうな星
  • 朝の静けさと、小鳥のさえずり

玄関のドアを開けた瞬間から、
娘の表情がふっと柔らかくなるのが分かります。

ここには、**「時間の流れそのものが違う世界」**があります。


森に包まれた敷地

高原の家のまわりには、広々とした緑の空間が広がっています。

芝生だけがきれいに整えられた庭ではありません。

  • 木立があり
  • 小さな川が流れ
  • 季節ごとに違う表情を見せる草花があり
  • 土の匂いと落ち葉の音が、いつもどこかで響いている

ひとつの「庭」というより、
小さな森ごと一つの敷地になっているような感覚に近いかもしれません。

娘にとってはここが、一年中あそびまわるフィールドであり、
そのまま「天然の知育空間」になっています。


夏:庭を流れる小さな川が、“実験室”になる

夏になれば、森の一角を流れる小さな川が、大活躍します。

  • 裸足になって、冷たい水の感触を確かめる
  • 小石を並べて、水の流れを少しずつ変えてみる
  • 葉っぱや小枝を流して、「どこまで行くかな」と追いかける

大人から見れば、ただの川遊びかもしれません。

でも、よく見ているとそこには、

  • 水の速さ
  • 流れの変化
  • 石を置いたことによる抵抗

そんな“理科の教科書の中身”が、
すべて遊びのかたちで詰まっています。

誰かが用意したウォータースライダーより、
うちの小さな川の方が、娘の頭はよく回っている気がします。


冬:敷地全体が、手づくりのゲレンデに変わる

冬になれば、同じ敷地が一変します。

一面の雪。
木々に積もる白。
足を踏みしめるたびに、「キュッ」と鳴る音。

ほどよい傾斜のある場所を見つけて、
娘は自分でソリのコースをつくります。

  • 雪をどかして、安全なルートを考える
  • 何度も滑っては、「ここは曲がりやすい」「ここはスピード出すぎ」と微調整
  • 転んで雪まみれになりながら、また笑って坂を登る

ここには、決められたコースもなければ、スタッフもいません。

設計図から検証、安全確認まで、全部自分たちの頭と体で考えるソリ遊び。

派手なリフトやレストランはないけれど、
“頭を使う雪遊び”としては、これ以上ない贅沢だと思っています。


一年中、天然のおもちゃで遊び倒す

季節が変わっても、この敷地はいつも何かを差し出してきます。

  • 春には、土の間から顔を出す小さな芽
  • 夏には、名前も知らない虫たち
  • 秋には、形も色も違う落ち葉や木の実
  • 冬には、霜柱や凍った水たまり

娘は、それら全部を「おもちゃ」として全身で受け取ります。

石ひとつ、葉っぱ一枚だって、

  • 並べてみる
  • 積んでみる
  • 分類してみる
  • 「これは〇〇に似てる」と物語を作ってみる

これほど高度な、頭を使うおもちゃは、この世にそう多くありません。

説明書も、対象年齢も、正解も、何もありません。
あるのは、子どもの発想力と好奇心だけ。

だからこそ、思考の回路も、感性のアンテナも、自然に鍛えられていくのだと思います。


自分たちの敷地内で完結する「思い切り」

そして何より大きいのは、
これらすべてが 自分たちの敷地内で完結している ということです。

  • 大声で笑ってもいい
  • 泥だらけになってもいい
  • 川の流れを変える実験を、何時間続けてもいい
  • ソリのコースを、納得いくまで作り直してもいい

「こんなことしたら変かな」
「迷惑じゃないかな」

そんなブレーキを踏まなくていい空間は、
子どもの「思い切り」のレベルを、一段も二段も上げてくれます。


私たちが、観光地や遊園地に惹かれない理由

どこどこのホテルが豪華だとか、
子ども用の遊具が充実したリゾートだとか、
有名な遊園地の新アトラクションだとか——。

世の中には、子連れ向けの「レジャー情報」があふれていますが、
正直に言うと、私たちはほとんど心が動きません。

それらは、どこまで行っても 「誰かが設計した人工物のおもちゃ」 だからです。

  • 遊び方があらかじめ決められている
  • 「楽しい」の形が最初からパッケージになっている
  • お客さんとして“消費する楽しさ”が前提になっている

もちろん、それを否定するつもりはありません。
そこにも、その良さがあります。

ただ、親である私たちが心から求めているのは、
そうした「人工の楽しさ」ではありません。

人の少ない、自然豊かな場所で、
ひとつひとつの暮らしを丁寧に味わうこと。

それが、わが家の選んだ贅沢です。


小鳥の鳴く森の中で、コーヒーを一杯

高原の家の朝。
窓を開けると、ひんやりとした空気と、小鳥の声がすっと入ってきます。

キッチンでお湯を沸かし、豆を挽き、
ドリッパーにゆっくりとお湯を落とす。

立ちのぼる香り。
静かな森のざわめき。
鳥のさえずり。
遠くの山を照らす光。

マグカップを片手に外に出れば、
そこはもう、世界で一番贅沢な喫茶店です。

  • 時間無制限
  • 予約不要
  • 席料ゼロ
  • BGMは、鳥と風と、木々のこすれる音だけ

日本中どれだけ探しても、
この条件をすべて満たす喫茶店は、そう多くないでしょう。

娘は庭で、川や雪や虫たちと真剣に遊び、
私たちは森を眺めながら、本を開き、静かにコーヒーを飲む。

誰かが用意した「サービス」を消費するのではなく、
自分たちで時間を味わい、暮らしを組み立てていく時間が、そこには流れています。


同じ子どもでも、場所が変わると「顔」が変わる

おもしろいのは、
同じ子どもでも、場所が変わると表情も遊び方も変わることです。

街の家では

  • 時計を気にしながらテキパキ動く
  • 「次はこれをやる」と、自分で段取りを組む
  • 学校の話や友達のことが中心になる

視線は、手帳と今日のToDoリストに向いています。

森の家では

  • まず外に出て、空を見上げる
  • 川や木の根元にしゃがみ込み、いつまでも観察している
  • 「あの山の向こうには何があるんだろう」と、地図を広げる

視線は、空と森と、足元の小さな世界に向いています。

どちらが良い悪いではありません。
どちらも、その子の大切な一部です。

この二つのモードを行き来することで、
娘の中に少しずつ、「立体的な世界地図」ができあがりつつあるように感じます。


二拠点生活は、「特別なステータス」ではなく「解像度を上げる装置」

二拠点生活と聞くと、

  • 経済的に余裕のある人の特権
  • ちょっと特別なライフスタイル

そんなイメージを持たれがちです。

でも、実際にやってみると、その中身はとても地味です。

  • 毎週、荷物を詰めては運び
  • 忘れ物に気づいては笑い
  • 片方の家で洗濯物を干し、もう片方の家で取り込む

やっていることは、ごく普通の家事の延長です。

それでもなお、あえてこの往復を続けるのは、

「日常」と「非日常」を、
行ったり来たりできるから。

  • 街の家の毎日があるからこそ、森の静けさが特別に感じられる
  • 森の空気を知っているからこそ、街の便利さと賑わいがありがたく思える
  • 庭の川や雪や虫たちが、「理科」と「図工」と「体育」を一度に教えてくれる

この“対比”が、娘の感性にとって、
確かに一つの「レンズ」になっている気がします。


小2の今、子どもが受け取っているもの

娘はまだ、「二拠点生活」なんて言葉は知りません。
彼女にとってはただの、

「平日の家」と「森の家」

です。

それでも、ふとしたひと言に、
受け取っているものの大きさがにじみ出ます。

  • 「森の家に行くと、空の色が深くなるね」
  • 「街の図書館は、本がぎゅっと詰まってて落ち着く」
  • 「こっちの川は、学校の図鑑よりおもしろいね」
  • 「この前の雪のコース、次はもっと速くしたいな」

誰も教えていないのに、
自分で「違い」を見つけて、言葉にし始めている。

たぶんそれが、二拠点生活が子どもに渡している、
いちばん大きな贈り物なのだと思います。


終わりに――子どもの感性に、もう一つの窓を

二拠点生活は、決して派手な暮らしではありません。
むしろ、少し手間がかかる分だけ、“不便さ”も抱えています。

それでも私たちは、この往復を続けています。

子どもの感性に、もう一つの窓をつくりたいから。

街の家と、森の家。
日常と非日常。
学校と自然。
机の上の勉強と、空の下の学び。

そのすべてを、行き来しながら受け取った子どもが、
将来どんな世界の見方をするのか——。

その答えを楽しみにしながら、
今日もまた、週末の荷造りを静かに始めています。

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