1.「別荘に行く」のではなく、「還りに行く」という感覚
二拠点生活を続けていると、ある日ふと気づきます。
別荘に向かう車の中で、胸の奥のスイッチがカチッと切り替わる瞬間があることに。
- 「行くぞ」という緊張ではなく、
- 「ああ、帰っていくんだな」という、どこか懐かしい安堵感。
街の拠点には、予定と刺激と情報が集まります。
それはたしかに便利で、成長の舞台でもある。
けれど、そこで暮らし続けていると、
いつの間にかこう感じることがあります。
時間は流れているのに、深まっていない。
やることは山ほどあって、毎日は慌ただしい。
努力もしているし、前進もしているはず。
でも、心だけが少し後ろから息を切らせて追いかけているような感覚。
そんなとき、人は本能的に「もうひとつの拠点」に向かおうとします。
標高1400メートル級の、空が近い森の小さな家。
そこでは、時間は“流れる”のではなく、**静かに“満ちていく”**のです。
そこに行くというよりも、
「本来の自分の速度に還っていく」――
別荘とは、そんな場所です。
2.別荘での朝――“音”ではなく、“静けさ”で目覚める
街の朝は、目覚まし時計で始まります。
スマホのアラーム、車の音、隣の家の生活音。
起きた瞬間から、世界はすでにフルボリューム。
別荘の朝は、まるで別の国のようです。
- カーテン越しに、ゆっくりと差し込む朝の光。
- 離れた木々から聞こえる鳥のさえずり。
- 窓をかすめる風の、かすかな音。
耳を澄ませばたしかに“音”は存在するのに、
不思議と心の中には“静けさ”だけが残ります。
ここでは、人間の「65%くらいが自分の本来の速度」に戻るような感覚がある。
せかされない。急かされない。
「今日という一日を、何のために使いたいか」を、
自分で決め直すことができる。
大人は、いつもより少し厚い一冊を開く。
子どもは、まだ描きかけの絵の続きに手を伸ばす。
猫は、何も考えていないような顔で、陽だまりの上で丸くなる。
ここでは、一日の始まりが「始業時間」ではありません。
“呼吸”で始まるのです。
3.別荘での学び――“詰め込む”のではなく、“染み込む”
街での学びは、どうしても「吸収する学び」になりがちです。
限られた時間で、決められた範囲を、どれだけ効率よく身につけるか。
テスト・宿題・課題・習い事。
それはそれで大切な筋肉です。
一方、別荘での学びはまったく質が違います。
それは “浸透する学び” です。
同じ本を読んでいても、
同じ計算問題を解いていても、
ここではなぜか、学びが頭だけでなく「心」にまで届いてくる。
たとえば、子どもの音読。
街では、
- 「ちゃんと聞いてる?」
- 「もっとはっきり読んで」
- 「時間がないから、次つぎ!」
と、どうしてもテンポ重視になりがちです。
しかし、別荘のリビングで同じ文章を読むと――
子どもの声が、空気の中にゆっくり溶けていくのが分かります。
- 一文ずつ、意味を味わうように読む。
- ときどき窓の外を眺めて、想像をふくらませる。
- 「この登場人物は、今どんな気持ちだろうね」と、自然に対話が生まれる。
ここでは、「何ページ進んだか」ではなく、
“どこで立ち止まれたか” が、学びの深さを決めます。
私はこれを、
**「学習としての読書」ではなく、「思索としての読書」**と呼びたいのです。
4.別荘の午後――競争ではなく、“没入”の時間
街の学びは、「成果」が分かりやすく可視化されます。
- テストの点数
- 模試の偏差値
- 何ページ進んだか
- 何問解けたか
それ自体は悪いことではありません。
むしろ、目に見える成果は子どもの自信にもつながります。
ただ、成果ばかりを追い続けると、「今、この瞬間に夢中になる力」が痩せていくことがあります。
別荘の午後は、その真逆です。
- 黙ってスケッチを続ける。
- ひたすら葉っぱの色の違いを観察する。
- 動物図鑑を開きながら、目の前を通り過ぎた鳥の名前を調べる。
- ふと気になるテーマを辞書や図鑑で深掘りしてみる。
ここには、テストも評価も存在しません。
ただ、子どもが自分の速度で、自分の知りたいことに潜っていく時間だけがあります。
自分の興味に深く潜れる子は、
やがて自分の人生にも深く潜れるようになります。
別荘の午後は、そのための**“没入トレーニング”**の時間なのです。
大人側に必要なのは、
この時間を「ムダ」とみなして口出ししすぎないこと。
- 「そろそろ勉強しなさい」ではなく、
- 「すごく集中してるね。あと〇分だけ見守ろう」に変えてみる。
それだけで、子どもの中に育っていく集中力の質が変わります。
5.夕方――陽が傾く時間に、なぜ心はほどけるのか
別荘での一日で、私がいちばん好きなのは、夕方です。
陽が少しだけ斜めに差し込む時間。
大きな窓から、柔らかいオレンジ色の光が床に落ち、
その上を、木々の影がゆっくりと揺れている。
この時間になると、人の心は自然とほどけていきます。
それはきっと、自然が「完璧」を求めないから。
- 正解も、不正解もない夕方。
- 「今日やるべきことリスト」からも、そっと解放される時間。
- ただ、“今日という一日を、もう一度ゆっくり味わえばいい”だけの時間。
ゆっくり淹れたコーヒー。
湯気の向こうでぱちぱちと音を立てる薪ストーブ。
ソファでは、大人も子どもも本を開いているのに、ページはあまり進まない。
――でも、それがいいのです。
ここでは、「どれだけ進んだか」よりも、「どれだけここにいられたか」の方に価値がある。
夕方は、頑張ることの価値ではなく、
「ただ生きていることの価値」を思い出させてくれる時間なのだと思います。
6.夜――真っ暗な空は、なぜ心を静めるのか
都市の夜は、しばしば「終わり」です。
仕事の終わり、塾の終わり、家事の終わり。
ヘトヘトになってようやくベッドにたどり着く。
別荘の夜は、それとはまったく異なる表情を見せます。
- 外は、本当に「真っ暗」になる。
- 街灯も少なく、空は星で埋め尽くされる。
- 静けさが深くなるほど、逆に自分の内側の声が聞こえ始める。
満天の星空を見上げていると、
人は自然と自分に問いかけ始めます。
「自分は、本当は何に疲れていたんだろう?」
「なぜ、こんなにも静けさを必要としていたんだろう?」
そして、だんだんと分かってくるのです。
疲れていたのは、体そのものではない。
情報に追われ続けることで、心が摩耗していたのだと。
星が瞬く夜は、心の奥を映す鏡のようです。
人はそこで、余計なものを少しずつ手放し始めます。
- 「これは、もう頑張らなくていいことかもしれない」
- 「これは、手放さずに守っていきたいものだ」
そうやって、人生の優先順位を静かに並べ替える夜。
別荘の夜は、そんな時間でもあります。
7.別荘で過ごすことの本質――「飾る場所」ではなく、「ほどく場所」
別荘と聞くと、
「おしゃれで素敵なインテリア」「非日常の贅沢」というイメージが先に立ちます。
もちろん、それらも楽しいものです。
でも、本質はそこではないと感じています。
別荘とは、「飾る場所」ではなく、「ほどく場所」。
都市では、“何を持っているか”が問われます。
- どんな肩書きを持っているか
- どんな成果を出しているか
- どんな暮らしをしているか
一方、別荘では、“何を手放せるか”が問われます。
- SNSを閉じてみる勇気
- カレンダーの予定を空白にしてみる決断
- 「忙しさと引き換えに手に入れていた何か」を、いったん棚に戻してみる覚悟
別荘で過ごすということは、
深さと余白を、静かに取り戻す行為そのものなのです。
8.家族を育てる「第三の教室」としての別荘
別荘は、大人を癒す場所であると同時に、
**家族関係を育てる「第三の教室」**でもあります。
- 学校という教室
- 家という教室
- そして、自然に囲まれた別荘という教室
この第三の教室では、ルールが少し変わります。
- 「勉強しなさい」ではなく、「何をして過ごしたい?」と聞いてみる。
- 「早くしなさい」ではなく、「この時間をどう味わう?」と一緒に考える。
- 「親としての正しさ」よりも、「一人の人間としてどう感じるか」を大事に話す。
薪を割る姿を、子どもがじっと見ている。
コーヒーを淹れる手つきに、「やってみたい」と目を輝かせる。
カーテンを開けたときの空の色を、一緒に言葉にしてみる。
日常の家ではなかなか生まれない会話が、
別荘では自然にこぼれ出てくることがあります。
家族は、ただ同じ屋根の下にいるから育つのではなく、
同じ景色を見て、同じ時間を味わうことで、ゆっくり育っていく。
別荘は、そのための舞台装置でもあるのです。
9.二拠点生活の別荘で過ごすことが、人生の輪郭を取り戻してくれる
ここまで書いてきたことを、あえて一文でまとめるなら――
二拠点生活の別荘で過ごすということは、
心を整え、家族を育て、人生の輪郭を静かに取り戻す時間を持つこと。
都市は、未来を作る場所。
別荘は、心を育てる場所。
この往復が、人の人生に「奥行き」を与えてくれます。
便利なだけでは、人は整わない。
静かなだけでも、人は育たない。
だから、私たちは往復します。
- 忙しさの中で、方向性を見失わないために。
- 目の前のタスクだけに追われて、「何のために生きているのか」を忘れないために。
- 子どもに、点数や実績以外の豊かさがこの世にちゃんと存在することを、
体験として手渡すために。
10.最後に――「二つの速度で、生きていい」という許可
二拠点生活の別荘で過ごす時間は、
人生にこう語りかけてくれます。
速く生きる時間と、
ゆっくり生きる時間の、
どちらも持っていていい。一つの速度だけで、
最後まで走り抜けなくていい。
二つの速度で、人生を設計できるということ。
二つの視点で、世界を眺められるということ。
その感覚を知っている人は、
きっとどこか、折れにくく、しなやかで、豊かです。
別荘で過ごす一日いちにちが、
未来の自分にとっての「心の貯金」になっていきますように。

