小学2年生の夏──
保育園時代の友人たちと久しぶりに再会した私は、ふとした違和感に気づきました。
あんなに可愛らしかった子どもたちは、たった1年半で見違えるほど大人びた表情を見せ、
その一方で、親たちの顔は、どこか曇っている。
理由は明白でした。
勉強の悩みが、本格化し始めているのです。
「小学2年生」──伸びる子と伸び悩む子の分かれ道
小1のときは、まだ“横並び”でした。
誰もがひらがなを学び、簡単な足し算を習い、宿題も比較的スムーズにこなしていた。
でも、小学2年生になると──
- 算数は繰り上がり・繰り下がり、筆算、図形、長さや時間といった「応用的な思考力」が問われ、
- 国語では説明文や詩、心情読解、記述式の設問が増えていく。
つまり、「なんとなく」で乗り切れたフェーズはもう終わり。
“理解しているかどうか”が、点数や態度にハッキリ表れ始めるのです。
“演習量”こそが、学力の根幹
私の友人の子は、どうやら最近、授業の内容に追いつけていないようでした。
先生の話が理解できず、漢字も計算もつまずいているとのこと。
でも、話を深く聞いていくと──
毎日家での学習時間は10〜15分ほど
宿題以外の演習量はほとんどゼロ
間違えた問題もやり直していない
……これでは、伸びるはずがありません。
学習面のつまずきの多くは、「才能の問題」ではないのです。
“演習不足”による土台の崩壊です。
なぜ、「勉強しなさい」が言えないのか?
しかし、多くの親が口にします。
「勉強しなさいって言いたくない」
「子どもが可哀想で…」
「家庭でまでガミガミ言いたくない」
その気持ちも分かります。
自分が仕事で疲れているのに、子どもの宿題にまで神経を使うのはしんどい。
楽しく穏やかな家庭を維持したい。
でも、ここで一つだけ、心に刻んでほしいのです。
■ 勉強しなさい ≠ 強制
■ 勉強しなさい = 支援のスタートライン
「勉強しなさい」と口にすることが、すべて悪ではありません。
問題なのは、その言葉の“あと”に何をするかです。
- 怒鳴ることではなく、一緒に座って解いてみる
- ミスを責めるのではなく、「惜しいね」「ここまでできたね」と声をかける
- 解けた瞬間に、思いっきり褒めてやる
学習サポートとは、支配ではなく“伴走”です。
「親も教えられない」──だからこそ、道具を選ぶ
「でも、親の自分が勉強を教えられない…」
そう思う方もいるでしょう。
それでいいのです。
親が教えるのが不安なら──
- 丁寧な解説がある教材を選ぶ
- 習慣化に役立つタイマーやルーティン表を導入する
- 一緒に解くふりをして、子どもに解かせる
いくらでも工夫できます。
大事なのは、子どもが“ひとりぼっちで困らない”ようにすること。
小2から始まる「静かな脱落」
日本の義務教育では、「落第」という制度がありません。
だからこそ、表面化しにくい。
でも、確実に起きています。
・勉強が苦手になった
・授業がつまらなくなった
・先生の話を聞かなくなった
・友達と比較して、自信を失った
これらはすべて、「勉強が分からない」ことから始まります。
しかも、誰にも気づかれないうちに、静かに、ゆっくりと、心が離れていくのです。
子どもを守れるのは、親しかいない
学校では、先生が30人以上の子どもたちを相手にしています。
一人ひとりに十分なサポートはできません。
だからこそ、子どもの“最初のサポーター”は親。
- つまずきにいち早く気づけるのも
- 学習環境を整えられるのも
- 自信を与えられるのも
すべて、家庭にいる私たちなのです。
最後に──「できるまで見守る」ことの価値
勉強が苦手な子は、できないから苦しんでいます。
でも、できたときの笑顔は、何よりも輝いています。
子どもが「できた!」と思えるまで、
私たちがその場を整え、時間を確保し、
寄り添いながらサポートし続けること。
それが、**親にしかできない「教育」**です。
🔹 あなたのその一歩が、子どもの未来を変える
- 「勉強しなさい」と言ってもいい
- でも、そのあとに、「一緒にやってみようか」と言える親になろう
小学2年生──それは、ただの通過点ではありません。
“脱落するか、自信をつけるか”の分岐点なのです。

