「勉強の敵はテレビではない。時間を無意識に奪うすべてのものだ」
「学年1位って、どんな塾に通わせているんですか?」
「どんな教材を使っているんですか?」
そう聞かれることがあります。
もちろん、教材や学習環境も大切です。
でも、もっと大切なことがあります。
それは──
**“どんな環境から子どもを守っているか”**ということ。
わが家では、自宅にテレビの契約をしていません。
ケーブルテレビも、地上波のアンテナも、何も入れていないので、物理的にテレビを見ることができません。
テレビがリビングにあって、ただスイッチを入れれば見られる──そんな環境を、そもそも与えていないのです。
「学年1位は、テレビを見ない」これは偶然ではありません
テレビがないことが、成績とどう関係あるのか。
これは偶然ではありません。
テレビを“悪”とするつもりはありません。
けれど、テレビは「時間を奪う装置」であることが、あまりに日常化しすぎているのです。
テレビの前に座って、「ながら」でダラダラ見る。
気づいたら1時間、2時間が過ぎている。
CMの合間に、スマホでSNSを見たり、YouTubeを開いたり……。
「目的なく情報を受け取る」という習慣は、思考力を確実に削ぎます。
学力に本当に必要なものは、「受け取る力」ではなく「考える力」です。
テレビは「娯楽」ではなく、「思考の麻酔薬」になることがある
テレビを見ているとき、子どもは考えていません。
笑っているか、驚いているか、あるいは無表情で眺めているか──。
けれど、“自分の頭で何かを生み出す”ことは、ほとんど起こっていません。
これは、「休憩」としての視聴なら問題ないでしょう。
けれど、“惰性”として続くテレビ視聴は、学びの芽を鈍らせていきます。
しかも怖いのは、
「テレビを見ること」は、悪いことではないと社会的に認められていること。
つまり、無意識のうちに時間を奪われても、誰も止めてくれないということです。
「山の別荘にだけ、テレビがある」──この意味とは?
我が家では、山にある別荘にだけテレビがあります。
けれど、それもリアルタイムで見ることはほぼありません。
自然に囲まれた場所で、鳥の声を聞きながら読書したり、猫と過ごしたり。
テレビは、情報源ではなく、「たまの娯楽」や「映画鑑賞の手段」としてしか存在していません。
これは、テレビを否定するのではなく、「意識的に距離を取る」という方針です。
スマホ・YouTubeも「勉強の敵」になる理由
もちろん、今の時代の「勉強の敵」はテレビだけではありません。
スマホ、YouTube、SNS──
すべてが、**“無意識に時間を奪う構造”**になっています。
それが「悪」なのではなく、「無意識」の時間こそが、勉強にとって致命的だということ。
- 百マス計算を毎日やる
- 読書を習慣にする
- 机に座ったら鉛筆を持つ
- 1日を振り返って日記を書く
こうした習慣を支えているのは、**“自分の時間を、自分で管理しているという感覚”**です。
無意識に時間を浪費する習慣が染みついてしまえば、この自己管理能力は決して育ちません。
「娘は学年1位」──この事実が語ること
私の娘は、現在、学年1位の成績を取り続けています。
けれど、それは「賢いから」「運が良かったから」ではありません。
**“家庭がどれだけ子どもの時間と思考を守れるか”**にかかっていると、心から思っています。
テレビのない生活。
スマホを与えない環境。
毎朝5時起きで始まる、家族のリズム。
読書と自然と語らいを大切にする毎日。
「学年1位」は、“意識的に選んだ家庭習慣”の延長線上にある結果なのです。
「テレビを消す」ではなく、「思考を灯す」環境へ
もし今、お子さんがテレビやYouTubeを長時間見ているなら──
「今すぐやめなさい」と言う必要はありません。
でも、「それ以上に面白い世界」を一緒に育てていってほしいと思います。
- 親子で読書する
- 一緒に散歩して季節の移ろいを話す
- 夜、今日の振り返りをする
- 「なんでだろうね?」と問いかけてみる
こうした積み重ねが、**“テレビでは得られない知的興奮”**を与えてくれます。
最後に──「学びたい」と思える子に育てるために
子どもは、環境の影響を受けます。
テレビを見る時間が習慣になっていれば、それが“日常”になります。
けれど、テレビを見ないことが日常なら、
子どもは自然と、“自分で考えること”が好きな人間に育ちます。
「学年1位の子はテレビを見ない」というのは、
成績の話をしているのではありません。
“どんなふうに時間を使い、どんなふうに世界を感じているか”という、生き方の話です。
わが家がそうだったように、
“テレビのない暮らし”は、子どもにとって「思考力のある未来」を育ててくれます。

