1.スケートは称賛され、勉強は嫉妬されるという不思議
「スケートで日本選手権を目指しています」
「甲子園出場が夢です」
「サッカーで全国区の強豪校に行きたいです」
こう言う子どもが、
どれだけ過酷な練習をしていても、
周りから皮肉を言われることはまずありません。
- 朝から晩までリンクに立ち続けても
- 毎日毎日、グラウンドで汗を流していても
- 土日なんて存在しないほど、ボールを追いかけていても
近所の人は、こう言うでしょう。
「すごいねえ、頑張ってるねえ」
「将来楽しみだね」
きっと、地域で“有名な子”になります。
応援され、誇られ、拍手を送られるでしょう。
では、勉強はどうでしょうか。
- 朝から机に向かい
- 自分から問題集を開き
- 本を読み、ノートを書き、思考し続けている子どもを見て
周りの大人は、何と言うか。
「勉強ばかりさせてかわいそう」
「親が無理やりやらせているに違いない」
本人が心から楽しんでいても、
その可能性はほとんど考慮されません。
なぜ、練習は称賛されて、勉強は疑われるのか。
この違いは、一体どこから生まれているのでしょうか。
2.嫉妬と「勉強アレルギー」がつくる空気
私はここに、
日本社会特有の 「嫉妬の文化」と「勉強アレルギー」 を見ます。
スポーツで全国を目指す子どもは、
多くの大人にとって「自分とは違う世界の人」であり、
直接の“競争相手”ではありません。
だから、安心して応援できる。
多少自分よりすごくても、痛くもかゆくもない。
しかし「勉強」は違います。
- 学歴
- 職業
- 収入
- 社会的なポジション
勉強の結果は、
大人たち自身の過去やコンプレックスに
直結してしまいます。
だからこそ、一部の大人は
「勉強を頑張る子ども」 を見ると
どこか落ち着かない。
「あの子が本気を出して結果を出してしまうと、
『本気を出さなかった自分』と向き合わされてしまう。」
心のどこかで、
そんな感覚が動き始めるのかもしれません。
すると出てくるのは、応援ではなく、
- 「子どもらしく遊ばせてあげなよ」
- 「そんなに勉強してどうするの」
- 「小さいうちからやらせすぎは良くないよ」
といった “正論風のブレーキ” です。
しかし、その多くは、
責任ある提案ではありません。
その言葉を聞いて勉強をやめてしまったとしても、
その子の未来に責任を取るのは誰か。
もちろん、その大人ではない。
親と子ども自身です。
だからこそ、
勉強好きな子どもを持つ親は、
この「無責任なブレーキ」に
敏感でなければならないと感じています。
3.勉強好きな子どもは、たしかに“存在する”
世の中には、
一定数の「勉強そのものが好きな人間」 がいます。
- 難しい問題を解けた瞬間、心の底から楽しくなる子
- 本を読み始めたら時間を忘れて没頭してしまう子
- 新しい概念や歴史を知ると、ワクワクして眠れなくなる子
「そんな子、本当にいるの?」と
首をかしげる大人もいるかもしれません。
しかし、います。はっきりと、います。
そして、そのごく一部が、
日本の医療を、技術を、研究を、ビジネスを、
文化を、政治を、教育を
前に押し出している のです。
どの分野でも、
トップに立って道を切り開いていくのは、
結局のところ
“狂気じみた勉強量”に耐えられる少数派
です。
たとえば医師、研究者、エンジニア、法曹、教育者…。
その裏側には、
目が痛くなるほど大量の本と資料、
そして、誰も見ていない深夜の勉強時間が
必ず存在しています。
その始まりが、小学生の頃の
「勉強が好き」「もっと知りたい」という感覚であることも
珍しくありません。
勉強好きな子を潰すということは、
未来の日本を切り開く芽を、
自分たちで踏みつぶすことでもある。
この事実を、
私たちはもっと真剣に受け止めるべきだと思うのです。
4.「勉強好きな子を守る」という親の覚悟
勉強が好きな子どもを持つ親は、
正直なところ、とても大変です。
- 周囲からの「勉強ばかりでかわいそう」攻撃
- 「親がガミガミ言ってるに違いない」という決めつけ
- 「うちの子はそんなに頑張らせないわ」という
価値観マウンティング
こうした言葉を浴びせられながら、
それでも子どもの味方であり続けなければならない。
そして同時に、
- 子どもの心と体が本当に耐えられているか
- 無茶なスケジュールになっていないか
- 目標が「親の夢の代行」になっていないか
自問自答を繰り返す日々でもあります。
それでも、
勉強好きな子を持つ親として
胸に刻んでおきたいことがあります。
「勉強が好き」という個性は、
守り抜く価値のある、かけがえのない才能だということ。
スポーツの才能なら、誰もが認めます。
音楽の才能なら、誰もが拍手します。
それなら、なぜ 勉強の才能だけ、
「ほどほどに」扱われなければならないのでしょうか。
- 本気で勉強して何が悪いのか。
- 100%を勉強に注ぎ込んで何がいけないのか。
本気で勉強する子どもを、
堂々と応援していい。
その覚悟を、
まず親が持ちたいのです。
5.「塾がすべて面倒を見てくれる」という幻想を捨てる
世の中には塾があふれています。
けれど、元塾講師として断言できます。
塾がすべて勉強好きな子を満足させてくれるわけではありません。
むしろ、
“本気で勉強したい子” にとって
物足りない塾は少なくありません。
- 画一的なカリキュラム
- 型通りの解法暗記
- 「このレベルで十分」という見切り
もちろん、
大多数の子どもを合格させるうえでは
合理的な仕組みかもしれません。
しかし、
勉強が好きで、
もっと深く知りたい子どもにとっては、
「ここが限界です」と
上から線を引かれてしまう感覚になることもある。
さらに言えば、
塾講師になるのに資格はいりません。
「塾講師」と名乗れば、
誰でもその肩書きを持ててしまうのが現実です。
もちろん、
情熱と力量をもった素晴らしい先生もたくさんいます。
しかしその一方で、
- 教える内容に責任を持たない人
- 子どもの可能性よりも、目先の合格実績を優先する人
も、残念ながら存在します。
だからこそ、
勉強好きな子どもを持つ親は、
「塾に入れたから安心」ではなく、
「この塾、この先生は本当にうちの子の力を伸ばしてくれるか」
を、自分の目で見極めなければなりません。
- 授業の中身
- 子どもとの相性
- 宿題の質と量
- 先生のまなざし(子どもをどう見ているか)
これらを冷静に観察し、
合わないと判断したら、
きっぱり環境を変える勇気 も必要です。
6.「勉強嫌いな大人」に振り回されないために
社会には、勉強が好きな人もいれば、
勉強が嫌いな人もいます。
それ自体は、何も悪いことではありません。
価値観は人それぞれです。
問題は、
「自分は勉強してこなかった」
という事実を、そのまま“正しさ”にすり替えて、
勉強している子どもを否定すること。
- 「子ども時代に勉強するなんてかわいそう」
- 「勉強より大事なことを教えなきゃ」
こうした言葉の裏側には、
しばしば
「自分が勉強してこなかった理由を、
子どもの選択に投影して正当化したい」
という心理が潜んでいます。
しかし、その人たちは、
あなたの子どもの人生に責任を取りません。
だからこそ、
勉強好きな子どもを持つ親に伝えたいのです。
「勉強嫌いな大人の言葉を、
あなたの子どもの“進路指針”にしてはいけない。」
耳ざわりのいい言葉に、
未来を明け渡してはいけない。
勉強が好きで、
知りたい世界がたくさんあって、
そのために努力を続けている子どもを、
一番理解してあげられるのは親です。
7.それでも前に進む「勉強を極めたい子ども」と、その親へ
勉強を極めたい。
もっと上を目指したい。
誰よりも本気で知ろうとしたい。
そんな子どもは、
残念ながら“多数派”ではありません。
だからこそ、しばしば孤立します。
理解されず、浮いた存在になります。
でも、だからといって、
その火を消してしまっていいはずがない。
その火こそが、
未来の日本を照らす光になるかもしれないから。
- 新しい治療法を見つける医師
- 社会問題を解決する研究者
- 世界の常識を変える技術者
- 子どもたちに新しい学びを届ける教育者
そうした人たちはみな、
かつて「勉強が好きだった子ども」です。
勉強好きな子どもを持つ親は、大変です。
社会の偏見と戦い、
塾や環境を見極め、
子どもの心と体のバランスを取りながら、
伴走し続けなければなりません。
それでも、私ははっきりと言いたい。
あなたがしていることは、
日本の未来への投資そのものです。
8.おわりに:勉強を極めたい子どもたちを、一緒に守ろう
勉強を極めるということは、
たしかに理解されにくい生き方です。
- 目に見えない努力が多く
- 結果が出るまで時間がかかり
- 周囲から嫉妬や偏見を向けられることもある
それでもなお、
「勉強が好きだ」「もっと知りたい」と
前に進もうとする子どもたちがいる。
その子たちの背中を、
誰が守るのか。
私たち、大人です。
その中でも、とくに親であるあなたです。
勉強好きな子どもを決して潰さない。
無責任な言葉から守り抜く。
本気で学びたいという心を、
全力で応援する。
そんな親たちが、日本中にどれだけ増えるかで、
この国の未来は静かに変わっていきます。
さあ、共に頑張りましょう。
未来の日本は、
勉強を愛した少数の子どもたちと、
その背中を守り抜いた親たちの手に
かかっているのです。
