「あのとき、もし自分が――」から始まる物語
子どもの進路を考えるとき、
私たちはつい、自分の過去を引っぱり出してきます。
- 「あのとき、もう一年浪人していたら…」
- 「あの会社の内定を断らなければ…」
- 「あの分野を続けていたら、今ごろ違う人生だったかも…」
普段は忙しさのなかに沈んでいるそれらの記憶が、
子どもの「志望校は?」「将来なにになりたい?」という言葉をきっかけに、
一気に浮かび上がってくる。
そのとき胸の奥に感じる、
少しヒリっとした痛み。
それが、親の劣等感です。
「もっとできたはずなのに」という悔しさと、
「でも、もう戻れない」という諦めが、
ぎゅっと絡み合った感情。
この感情そのものは、人間としてごく自然なものです。
問題は、それが “子どもの進路” にこっそり乗り移る瞬間 です。
「補填モード」がオンになる瞬間
たとえば、こんなシーンを想像してみます。
子ども:「〇〇大学って、どんなところ?」
親の心の声:(あそこは自分が落ちた大学だ…)
この一瞬で、心の中にスイッチが入ります。
- 「自分は届かなかった。だからこの子には、絶対届かせたい」
- 「自分の雪辱を、次の世代で晴らしたい」
こうして、“補填モード” が静かにオンになる。
そこから先の行動は、一見とてもまっとうです。
- 情報収集を徹底する
- 受験スケジュールを完璧に組む
- 塾や教材を吟味し、全力でサポートする
どれも「よい親」の行動に見えます。
だからこそ、厄介です。
動機の中に、
「この子を通して、自分の穴を埋めたい」 という気持ちが混ざり込んでも、
周囲からはむしろ褒められてしまうのです。
劣等感は、どんな形で子どもに忍び寄るのか
劣等感は、「がんばれ」という言葉のふりをして近づいてきます。
- 「お父さんみたいに後悔してほしくない」
- 「お母さんはチャンスを逃したから、あなたには逃してほしくない」
一見すると、愛情たっぷり。
でもその裏側には、
「お父さんは失敗した」
「お母さんはダメだった」
という自己否定が、濃く潜んでいる。
その自己否定が強いほど、
子どもは無意識にこう受け取ってしまいます。
「お父さんをがっかりさせたくない」
「お母さんの分まで、ちゃんとしなきゃいけない」
本来、
・親の人生は親のもの
・子どもの人生は子どものもの
のはずなのに、
いつのまにか、
「二人分の人生を一人で背負う」 感覚になってしまうのです。
自己点検のチェックポイントを、あえて厳しめに
ここで、一度立ち止まるためのチェックポイントを、
あえて少し厳しめに書き出してみます。
一つでも「ドキッ」としたら、
それはすでに劣等感が“ちょっと顔を出しているサイン”かもしれません。
チェック① 進路の話をしているとき、自分の方が熱くなりすぎていないか
- 子どもよりも親の声のほうが大きい
- 気づけば親だけが身振り手振りで語っている
- 子どもは「うん」「へえ」しか言っていないのに、なぜか自分はスッキリしている
これは、「子どもの相談のはずが、自分の告白大会になっている」 状態です。
子どもは、親の熱量に押されて
「とりあえずうなずいておこう」となる。
そのうなずきに安心してしまうのは、
完全に大人側の都合です。
チェック② 「あの人に勝たせたい」という気持ちが胸の奥にないか
- 親戚の誰か
- 昔の同級生の誰か
- 自分を見下してきた誰か
そういう顔が、ふと頭に浮かんだことはないでしょうか。
「あの子たちより、うちの子がいい学校に行けば」
「今度こそ、胸を張って同窓会に行ける」
この感情が少しでも混ざると、
子どもの進路は一気に**「復讐の道具」**になっていきます。
もちろん、
心に一瞬よぎるくらいなら、人間として当たり前です。
大事なのは、その感情に気づいたときに、
「これは子どもに乗せる荷物じゃない」と
自分でブレーキを踏めるかどうかです。
チェック③ 子どもの失敗を、自分の失敗以上に重く感じていないか
テストで少し点を落としただけなのに、
自分の方が眠れなくなる。
模試の判定を見て、
子どもより先に荒れてしまう。
これは、
目の前の結果そのものよりも、
「自分の過去が再演されているようで怖い」
という感覚の方が強くなっているサインです。
子どもは、
「点数が悪かった」という事実だけでなく、
「お父さん(お母さん)をまた落ち込ませてしまった」
という余計な荷物まで背負うことになります。
劣等感と仲直りする――親自身のリハビリ
では、どうすればいいのか。
「劣等感なんて持たないようにしよう」と思っても、
それは人間である以上、無理な話です。
必要なのは、
劣等感と“対立”するのではなく、“仲直り”すること。
そのための具体的なステップを、いくつか置いておきます。
ステップ1.「あのときの自分」に、ゆっくり事情を聞いてみる
心の中で、過去の自分にインタビューしてみます。
どうして、あの大学を諦めたの?
どうして、あの会社を選ばなかったの?
どうして、あのとき勉強机から立ち上がってしまったの?
すると、案外こう返ってくるかもしれません。
「あのときは本当にしんどかった」
「家族の事情もあったし、あれ以上は無理だった」
「あの時点の自分には、あれが精一杯だった」
そうやって事情を聞いていくと、
「ダメだった自分」ではなく、
「あの条件の中で、よく頑張っていた自分」
が見えてきます。
そこで初めて、
過去の自分に対して
「あれで、よかったよ」
と、静かに言えるようになります。
ここにたどり着くまでが、
実は一番の山場です。
ステップ2.“残りの夢”を、自分の人生で少しだけ回収する
劣等感の多くは、
「やり切れなかった」「挑戦しきれなかった」
という 未完了のエネルギー です。
それを丸ごと子どもに預けるのではなく、
まずは自分で少しだけ回収してみる。
- 昔あきらめた分野の専門書を、もう一度じっくり読んでみる
- 本当に気になっていた資格を、思い切って勉強し始める
-「学生時代にやりたかったこと」を、小さな形で再開してみる(合唱、絵、研究…)
プロにならなくていい。
世界一を目指さなくていい。
ただ、「自分のために、もう一歩だけ踏み出す」。
この一歩を踏み出せた親は、
不思議と「子どもに託したい」気持ちが和らいでいきます。
ステップ3.子どもの夢は、「設計」ではなく「鑑賞」する
親がやってしまいがちなのは、
子どもの夢を聞いた瞬間に、
頭の中で勝手に設計図を引き始めることです。
「その夢を叶えるには、このコースとこの塾で…」
「あの学校に入るなら、まず偏差値が…」
もちろん、情報を集めることは大切です。
ただ、その前に一拍置いて、こう言ってみる。
「そんなこと考えてるんだ。いいね、それ」
評価するのではなく、
鑑賞する。
作品を見るように、
「へえ、そういう世界を面白いと思うんだ」と眺めてみる。
この姿勢があると、
子どもは 「親の劣等感の回収装置」 ではなく、
一人の人間として扱われていると感じます。
言葉が、子どもの背負う重さを決める
同じ“応援”でも、
言葉の選び方ひとつで、
背負わせる重さはまったく変わります。
重くなる言葉
- 「お父さんみたいにならないでね」
- 「お母さんの分まで頑張って」
- 「あなたが成功してくれたら、私も報われる」
これらは、
無意識のうちに 親の人生をセット販売 してしまう言葉です。
軽くなる言葉
- 「お父さんはあのとき諦めたけど、今こうやってもう一度勉強してるよ。
あなたはあなたのペースで、行きたいところまで行ってごらん」 - 「お母さんは若いころ迷ってばかりだったから、今はあなたと一緒に考えられるのがうれしい。
あなたの人生は、あなたのものだよ」
こちらは、
親が自分の未練を自分の側で抱えたまま、
子どもには「応援」だけを渡している言葉です。
同じ“頑張ってほしい”でも、
まとう空気がまるで違います。
親が自分の人生を肯定すると、子どもは身軽になる
結局のところ、
子どもの進路に一番静かに効いてくるのは、
親が、自分の人生をどれだけ肯定しているか
です。
- 「あのとき失敗してね」と笑いながら話せる親
- 「今もまだ挑戦中なんだ」と言える親
その姿を見ている子どもは、
自分の進路を選ぶときに、こう感じやすくなります。
「失敗しても、やり直せる」
「途中で進路変更しても、人として終わりじゃない」
すると、
偏差値や肩書きは “大事だけれど絶対ではないもの” に下りてくる。
そのうえで初めて、
学歴やキャリアの話が、
健康的な重さで語れるようになります。
劣等感は「なくす」のではなく、「味方にする」
親の劣等感は、
消しゴムで消せるものではありません。
でも、
その存在を認め、
言葉にして、
自分の人生で少しずつ回収していくことで、
それはやがて、
「子どもの背中を押す力」 に変わっていきます。
「お父さんも、お母さんも、完璧じゃなかった。
でも、その不完全さごと引き受けながら、今も一緒に前を向こうとしている」
そのメッセージこそが、
偏差値よりも肩書きよりも、
何より強い“進路の灯り”になるのだと思います。
親の劣等感がひょいっと顔を出したら、
「また出てきたな」と笑いながら、
そっと自分の側へ引き寄せておく。
子どもの道は、
身軽で、自由で、しなやかであっていい。
親は自分の場所で、
今日もまた一歩、
自分の人生に向き合っていけば、それで十分です。
