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「普通でいい」の呪いと、「うちはうち」という覚悟

ライフスタイル
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「普通でいい」がもたらす、じわじわした窮屈さ

「まあ普通でいいよ」
「そんなに頑張らなくても、普通に幸せなら十分じゃない?」

一見、やさしい言葉です。
肩の力を抜かせてくれるようでいて、どこか胸の奥がモヤっとする。

なぜかというと、この言葉にはいつも
「それ以上はやめておいて」
という、目に見えないブレーキが含まれているからだと思います。

  • 夢を語ろうとすると、「現実を見なさい」と制される
  • ちょっと踏み込んだ挑戦を口にすると、「無理しないで」と止められる

気付けば、「普通でいい」は
「挑戦しなくていい」
とほぼ同義になっていることが多いのです。


「普通でいい」の裏側にある、“本当は挑戦させたくない”心理

誰かが挑戦を始めると、
それを見ている周囲の心は、少しざわつきます。

  • 「あの家はずいぶん熱心ね」
  • 「子どもに無理させてないかしら」
  • 「うちはそこまでできてないな……」

そんなざわつきを静めるために、
無意識のうちに使われる万能ワードが「普通でいい」です。

「普通でいいよ」と言えば、
自分も相手も同じ場所にとどまり続けられます。

  • 自分が行動していないことを、直視しなくて済む
  • 変わっていく誰かを、受け入れなくて済む

だからこそ、「普通でいい」は
周りを安心させるための言葉であり、
同時に、誰かの挑戦の芽を摘む言葉にもなってしまうのでしょう。


二拠点生活・早朝学習・自然優先の暮らしは、「多数派」ではないと知っている

わが家は、どう考えても“多数派”からは外れています。

  • 平日は街なかの家で暮らし、週末は森のそばの家に移動する二拠点生活
  • 子どもは朝5時に起きて勉強し、そのあと自然の中で体を動かす生活
  • 休日はショッピングモールよりも、山や図書館や庭時間を優先

カレンダーだけ見れば、とても整っているように見えるかもしれませんが、
実際は、引っ越しと早起きの繰り返しです。

周囲から見れば、「そこまでしなくても」という世界でしょう。

「小学生のうちからそんなに頑張らせなくても」
「家を二つに分けてまで行き来するなんて、よくやるね」

こういう言葉をかけられるたびに、
「あ、うちは“普通”ではないんだな」と、改めて自覚します。


「うちはやりすぎなのかもしれない」と揺れた日々

もちろん、最初から
「うちはうち、よそはよそ!」と
涼しい顔をしていられたわけではありません。

  • 体調を崩したとき
  • 子どもが眠そうにしている朝
  • 荷造りが重なって「また週末か…」とため息が出たとき

ふと心の中に、こんな声が顔を出します。

「こんなに早くから頑張らせなくてもいいのでは」
「ここまでやるのは、親の自己満足なんじゃないか」
「世間の『普通』に合わせた方が、子どもは楽なのでは」

周りの
「普通でいいじゃない」
という言葉が、
自分の心の中の不安と響き合ってしまう瞬間です。

「普通」に戻れば、
説明責任を感じることも減るでしょう。
目立つこともなくなり、
誰からも何も言われなくなるかもしれません。

その“楽さ”に、何度も心がぐらりと揺れました。


それでも「うちはうち」と決めたきっかけ

揺れながらも、最終的に
「やっぱり、うちはこの道で行こう」
と腹をくくれたのは、いくつかの小さな出来事が積み重なったからです。

  • 早朝、まだ外が暗い時間に机に向かう子どもの背中が、
    思っていた以上に凛としていたこと。
  • 高原の家で、星空を見上げながら
    将来の夢を楽しそうに語る横顔を見たこと。
  • 自然の中を全力で走ったあと、
    「また明日もがんばるね」と自分から言ったこと。

「無理をさせている」のではなく、
この子自身が、この暮らしを“自分の人生”として受け取り始めている。

その手応えを感じたとき、
やっと覚悟が決まりました。

「世間の普通に合わせて『ほどほど』にするより、
わが家らしい“本気”の方を選ぼう」

そう思えたのです。


「普通の呪い」から抜け出すための、ささやかな合言葉

それからは、心の中に
ひとつの合言葉を置くようにしています。

「うちはうち」

誰かに説明しきれなくてもいい。
理解されない瞬間があってもいい。

  • わが家が大事にしたいものは何か
  • わが家にとっての“幸せな一日”はどんな形か

ここに立ち返るたびに、
「普通でいい」の呪いから、少しずつ自由になっていきます。


「うちはうち」という覚悟は、子どもへのメッセージ

この覚悟は、
そのまま子どもへのメッセージでもあります。

  • 多数派じゃなくてもいい
  • 「みんなと同じ」でなくても大丈夫
  • 自分で選んだ道なら、堂々と歩いていい

親が「うちはうち」と腹をくくることは、
子どもが将来、自分の人生を選ぶときの土台になるはずです。

「普通でいい」に流されず、
自分の軸で生きていくための、静かな練習。

二拠点生活も、早朝学習も、自然優先の暮らしも、
そのための“道具”のひとつなのだと思うようになりました。


世の中がどれだけ
「普通でいいよ」とささやいてきても、

わが家は今日も、
少し早めの朝に起きて、
自分たちのペースで一日を始めます。

「うちはうち」

この短い言葉を、
これからも何度も心の中で唱えながら。

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