「普通でいい」という空気の、正体
「普通でいいよね」
「そこまでやらなくても」
「子ども時代くらい、のんびりさせてあげたら?」
どれも一見、優しい言葉です。
でも、よくよく考えると、
- 誰の「普通」なのか
- どの時代の「普通」なのか
- そして、その「普通」で本当に幸せなのか
…ここが、いつも抜け落ちている気がします。
平均値に寄せること=安心
多数派に合わせること=正解
そんな“空気”が、じわっとまとわりつく社会の中で、
- 二拠点生活
- 早朝学習
- テレビより本と自然
- 「遊び=消費」より「遊び=探究」
こういう選択は、どうしても“普通じゃない”側に置かれてしまいます。
二拠点生活・早朝学習・自然重視の暮らしは、なぜ「変わっている」と言われるのか
例えば――
- 平日は街なかの家で暮らし
- 週末は森のそばの家に移動し
- 子どもは朝5時に起きて勉強し
- 日中は庭で走り回ったり、土や葉っぱに触れたりする
その暮らしを説明すると、よく言われるのは、
「すごいね、うちはとても真似できないわ」
「そこまでしなくても、普通でいいんじゃない?」
たぶん、
「子どもはもう少し寝かせておきたい」
「週末くらいゆっくりしたい」
「家族で出かけるならショッピングモールで十分」
――という感覚が、多数派だからだと思います。
どちらが正しい、間違っているではありません。
ただ、「多数派=正解」ではない、というだけのこと。
少数派でいると、どうしても「変わっているね」というラベルを貼られがちです。
周囲の目に、心が揺れた瞬間たち
もちろん、いつも強くいられるわけではありません。
- 「そんなに勉強させてかわいそう」
- 「小さいうちからそんなに考えなくても」
- 「親のエゴなんじゃない?」
と言われたとき、
心が全く揺れなかったかといえば、嘘になります。
「やりすぎかな」
「子どもに重荷を背負わせていないだろうか」
「もっと“普通”にしてあげた方が楽なのかな」
夜、家族が寝静まったあとに、
何回も自問自答したことがあります。
二拠点生活だって、
準備も片づけも移動も、それなりに手間です。
早朝学習だって、
子どもだけでなく、大人も生活リズムを整え続ける必要があります。
「ここまでやる意味は、本当にあるのか?」
その問いは、何度も頭に浮かんできました。
それでも“普通じゃない”道を選び続ける理由
それでも、やめなかったのはなぜか。
理由をあらためて言葉にすると、
だいたい次の3つに収まります。
1. 「時間の使い方」が、その子の人生を決めていくから
子ども時代の「当たり前」は、
そのまま、大人になってからの「基準」になります。
- 朝の時間をどう使うか
- 休みの日をどう使うか
- 疲れたとき、何で自分を回復させるか
ここに、
- 「なんとなくスマホ・なんとなく動画」が並ぶのか
- 「本・自然・対話・思索」が並ぶのか
その差は、1日では小さくても、
10年続くと、途方もない違いになります。
だからこそ、私たちは、
“時間の使い方”だけは、多数派の空気に委ねたくなかったのです。
2. 「自分の軸で選ぶ背中」を見せたかったから
親が
- 「みんなそうしてるから」と選ぶのか
- 「うちはこう考えるから」と選ぶのか
子どもは、よく見ています。
たとえ口では、
「自分の頭で考えなさい」
と言っていても、
親がいつも「多数派に合わせる選択」ばかりしていたら、
それはきっと伝わってしまう。
「誰かの正解」に寄りかかるのではなく、
「自分たちの価値観」で選ぶ背中を見せたくて、
“普通じゃない”道をあえて選んでいるところがあります。
3. 心から「いい」と思える暮らしを、子どもと一緒に味わいたいから
二拠点生活も、早朝学習も、自然のある暮らしも――
大変さと同じくらい、
いえ、それ以上に、
- 純粋なよろこび
- 深い充足感
- 「ああ、やっていてよかった」という実感
を運んできてくれました。
- 早朝の静かな空気の中で、親子で机に向かう時間
- 森の中を散歩しながら、将来の夢を話す時間
- 星がよく見える夜、家族で空を見上げて「どの星まで行ってみたい?」と語り合う時間
こういう瞬間は、
“普通じゃない”選択をしていなかったら、
きっと手に入らなかったものです。
「子どもに渡したい価値観」は、とてもシンプル
では、こうした暮らしの先に、
子どもに何を渡したいのか。
ものすごくシンプルにまとめると、
たぶん、次の4つです。
1. 「少数派でいる勇気」
- みんなと違うことを、
それだけで「悪いこと」だと思わないでほしい。 - 「人と違う」ことを、
そっと誇りに思える人でいてほしい。
2. 「自分で考え、自分で決める力」
- “普通”という言葉に流されず、
一度立ち止まって考えられること。 - そのうえで、自分の頭で選び取れること。
3. 「時間は、自分の人生そのものだ」という感覚
- 暇つぶしではなく、“生き方”として時間を使うこと。
- 誰かに奪われるものではなく、
自分でデザインしていくものだと知っていてほしい。
4. 「幸せの物差しは、自分の中にある」という確信
- 世間の評価や偏差値だけに、振り回されないこと。
- 「私にとっての幸せは何か」を、
自分の言葉で語れる人であってほしい。
「普通じゃない」親でいることへの、ささやかなエール
正直に言えば、“普通じゃない”親でいるのは、けっこう疲れます。
- 説明する手間
- 誤解されるしんどさ
- ときどき訪れる「本当にこれでいいのか」という揺らぎ
それでも、
子どもの寝顔を見て、
朝いちばんに机へ向かう背中を見て、
自然の中で無邪気に笑う横顔を見るとき、
ああ、少数派でよかったな
と、静かに思います。
「普通でいい」が口ぐせの社会で、
あえて“普通じゃない”道を選ぶことは、
- 社会への反抗でもなく
- 誰かを見返すためでもなく
ただ、自分たちの人生を、自分たちでちゃんと選びたいから。
それだけのことなのだと思います。
もしあなたが、今、
周囲から「ちょっと変わってるね」と言われる選択をしているなら。
その違和感は、
未来のあなたと、あなたの子どものための「種」かもしれません。
多数派じゃないからこそ見える景色を、
少し誇らしく思いながら、
今日もまた、
“普通じゃない”道を、一歩ずついきましょう。
