スーパーエリート問題集を4周目。
『最レべ』や『トップクラス問題集』も一通りやってみて、
「市販の問題集で一番難しいな」
と感じた一冊を、ひたすら何度も何度もやり直してきました。
私の中には、ずっとこんな思いがあります。
相性が悪く、費用に見合わない塾にお金をつぎ込むくらいなら、市販の問題集を使い倒してほしい。
この記事では、
- なぜ、1650円の一冊をここまでやり込む価値があると思っているのか
- 実際に「4周やり切る」とはどういう世界なのか
- 塾と市販問題集、それぞれのお金とリターンをどう考えているのか
を、親の立場から正直に書いてみたいと思います。
「最レべ」「トップクラス」も素晴らしい。でも、頭一つ抜けていた一冊
市販のハイレベル問題集といえば、
このあたりは、もはや“王道”と言っていい存在です。
実際に取り組んでみて、どちらも非常によくできた問題集だと感じました。
- 難易度も高い
- 良問が多く、解説も丁寧
- 「上位〜難関校」をしっかり意識した構成
ただ、そのうえであえて言うなら、私の実感としては
「スーパーエリート問題集」は、頭一つ抜けている
という認識です。
- 単に難しいだけでなく、
- 思考の“ねじれ”や“飛躍”を要求される問題が多く、
- 子どもの「限界ライン」を、もう一歩だけ外側に押し広げてくる感覚がある。
最初に手に取ったときは、
「市販でここまでやるか…」と、少し笑ってしまったくらいでした。
だからこそ、心のどこかで直感しました。
「これは一度やっておしまいにしてはいけない一冊だな」
と。
スーパーエリート4周目――1650円の中に「塾1クール分」が詰まっている
4周も回してくると、同じ問題を何度も目にします。
それでも、そのたびに新しい発見があります。
- 前より早く気づけた
- 前よりシンプルな解法で辿りつけた
- 逆に、今日はなぜか引っかかった
そうした「微妙な変化」が、はっきり見えてくるのです。
ざっくりと、私の中の周回イメージはこんな感じです。
◆ 1周目:内容インストールの周回
- とにかく全問にぶつかってみる
- 「解けた・解けない」よりも
- どんな問われ方をされるのか
- どこに着目すべきなのか
を体で覚えるフェーズ
ここはある意味、塾でいう**“講義のコマ”**に相当します。
子どもにとっては一番しんどく、一番「世界が広がる」局面でもあります。
◆ 2周目:理解の穴を埋める周回
- 1周目で×・△だった問題に再挑戦
- 「一度目はキツかったけれど、二度目は通る問題」と
「やはり意味が分からない問題」を分けていく
この周回で、
- 一度見たら理解できるもの
- 何度見ても引っかかるもの
が、くっきり浮かび上がってきます。
親としても、「うちの子がつまずきやすいゾーン」がかなり明確になります。
◆ 3周目:弱点あぶり出しの周回
ここからは、すでに全問をやる必要はありません。
- 1・2周目で一度でも迷った/間違えた問題だけを再度解く
- 正解しても、一瞬「え?」と止まったものには△マーク
このフェーズになると、スーパーエリートはもはや
「1冊丸ごとの問題集」ではなく、
「うちの子専用の“最難関弱点集”」
へと変わっていきます。
- 何度やっても崩れがちな単元
- 少し数字や条件が変わると迷子になるパターン
そういったポイントが、残酷なまでに見えてきます。
けれど、そこを直視して一つひとつ潰していけるのが、家庭学習の強みでもあります。
◆ 4周目:仕上げ&スピード強化の周回
4周目に入ると、だんだんと**「やり切った感」**が漂ってきます。
ここでのテーマは2つだけ。
- 「絶対に落としたくない問題」を確実に取ること
- 時間を意識し、「本番速度」で解くこと
具体的には、
- 1ページ10分
- 単元セットで20〜25分
といった形で制限時間を設け、ミニ模試のように解いていく。
終わったら、
- スラスラ迷わず解けた問題 → ○だけ
- 一瞬でも詰まった問題 → △
- 解けなかった問題 → ×
と印をつけていきます。
こうすると、
- 「正解だけれど時間がかかりすぎる問題」
- 「本番で時間を食いそうな問題」
が、一目で分かるようになります。
ここまでくると、1650円の問題集を
「塾1クール分の授業+テスト+復習ノート」
に匹敵するくらいまで使い切っている、と言っても大げさではないと感じています。
変な塾にお金をつぎ込む前に、親として考えたい「投資の順番」
私は、塾という存在そのものを否定したいわけではありません。
良い塾・良い先生との出会いは、子どもにとって大きな力になります。
ただ、正直な本音として、
「このレベルの市販問題集を、まずは一冊やり切ってからでも塾は遅くないのでは?」
と思ってしまうことが多々あります。
- 月謝で毎月2万〜3万円、年間にすれば数十万円
- 生活リズムや通塾時間も削られていく
- 中には、市販問題集+α程度の内容にとどまる講座も少なくない
一方で、市販のスーパーエリート問題集は、
- 1冊1650円
- 自宅で、生活リズムをほとんど崩さずに取り組める
- 親が進度と理解度を把握したうえで、何周も回せる
冷静に「費用対効果」だけを見れば、
どちらが合理的かは、数字を並べた時点で明らかだと思うのです。
もちろん、
- 家ではどうしても勉強が進まない
- 親子で勉強を挟むとケンカになってしまう
といったご家庭もあるので、一概には言えません。
そうした場合、第三者としての塾には大きな役割があります。
ただ、少なくとも我が家の場合は、
「変な塾にお金をつぎ込むくらいなら、
良質な市販の問題集を徹底的に使い倒す」
という判断をしてよかった、と今のところは感じています。
「使い倒す」ために、実際にやっている小さな工夫
「やり直しは何度も繰り返すべきだ」と頭で分かっていても、
現実には2周目・3周目で息切れすることがあります。
そこで、我が家で実際にやっている“小さな工夫”を書いておきます。
① 全問周回は最初だけ。その後は「選抜制」にする
- 1周目だけは全問
- 2周目以降は、×と△がついている問題だけに絞る
と決めてしまう。
これだけで、
- 「毎回全問やらなきゃ…」というプレッシャー
- そして親の側の「今日もここまで終わらせないと」という焦り
から、かなり解放されます。
「やり直し=苦行」ではなく、
**「自分の弱点をノックしてくる特訓メニュー」**くらいの感覚になると、子どもの表情も少し変わってきます。
② 間違い方のパターンを「言葉」にして共有する
間違えたときに「ここ違うよ」で終わらせず、
- 計算ミスなのか
- 条件読み落としなのか
- 図や表が雑で勘違いしたのか
- 日本語の主語を取り違えたのか
など、「何をやらかしたのか」を一緒に言葉にしていくようにしています。
そして、そのパターンごとに、
- 「この手の問題は、最初に条件に線を引こう」
- 「図形の問題は、端から端まで線を引き切ってから考えよう」
といった**“次回のルール”を1つだけ決める。**
これを地道に続けていくと、
スーパーエリートの周回が、そのまま**“思考習慣の矯正”**になっていきます。
③ 親は「先生」ではなく「コーチ」のつもりで向き合う
家庭でここまでやり込むと、親がつい“先生モード”になりがちです。
しかし、それだと親子ともに疲れますし、関係性もギスギスしやすい。
なので、私は意識的に
- 答えを教える人ではなく
- 子どもの考えを引き出して整える**「コーチ役」**
を目指しています。
具体的には、
- 全ての問題を横から口出ししない
- 重要な数問だけ、「どうやって考えたか」を口で説明してもらう
- その説明を聞いてから、「ここまで筋が通っているね」「ここだけもう一歩だね」と短くフィードバックする
こうやって、
「親に説明することで、自分の頭が整理される時間」
を、あえて作るようにしています。
スーパーエリート級の問題は、この“説明トレーニング”とも相性が良いと感じます。
「やり切った」一冊を、これからどう扱うか
ここまでやってくると、自然とこんな感覚が芽生えてきます。
「この一冊については、もう十分やった」と胸を張って言える。
もちろん、5周目・6周目と続けることも不可能ではありません。
ですが、どこかのタイミングで
- 「この問題集は、ここまでやれば十分」
- これからは“辞書・参考書”として、必要なときに戻る存在にする
という切り替えをしたほうが、全体のバランスは良いと感じています。
そのうえで、
といった“横展開”を足していく。
つまり、
- スーパーエリート → 縦方向の「限界突破」をしてくれた師匠
- 他の問題集やテスト → 横方向の「対応力」を広げてくれる仲間
という役割分担です。
1650円の一冊から始まる、「家庭主導」の学び方
塾を軸にしてしまうと、
塾のカリキュラムが“主”で、家庭学習は“従”
という構図になりがちです。
一方で、1650円のスーパーエリート問題集のような一冊を軸に据えると、
学びの主導権は完全に「家庭側」に戻ってきます。
- 今日はどこまで進めるか
- どの問題を深くやり直すか
- どのペースで回していくか
それを、子どもの様子を見ながら親子で決めていける。
これは単なる勉強効率を超えて、
「自分で学び方をデザインしていく力」
を一緒に育てている時間だと思っています。
1650円のスーパーエリート問題集。
4周も5周も回していけば、
もはや「たった1650円」とはとても言えないほどのリターンを返してくれます。
変な塾にお金をつぎ込む前に、
まずは一冊の問題集を、ここまで徹底的に「使い倒して」みる。
その先に見えてくる景色は、
高い月謝では決して買えないものだと、私は信じています。

