難問にぶちあたったとき、どうするか?――小学生が“壁”を越えるその瞬間に、親ができること

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はじめに:

ある朝、娘が言った。
「……これ、全然わからない」
それは、トップクラス問題集に取り組み始めて10日目のことだった。
ページをめくる手が止まり、鉛筆の動きも止まり、しばらく沈黙が続いた。

私はその背中を、ただ見ていた。

「難問にぶちあたる」とは、学びを進める者すべてに訪れる“試練”であると同時に、
実はその瞬間こそが“本当の学び”の始まりなのだと――
私はこの夏、我が子を通して、改めてそれを思い知らされた。


壁にぶち当たった日のこと

それは、トップクラス問題集の算数。
苦手な単元ではなかった。むしろ、得意なはずの単元だった。
スラスラと3ページほど進めた後、突然「この問題、ぜんぜんできない」と言った。

問題文を見て、私も一瞬、言葉に詰まった。
難しい。けれど、解けない問題ではない。
大人なら、あと5分あれば…という類の、思考型の一問

娘は静かに、そしてじわじわと、涙をこらえていた。
「できない自分」にぶつかるのは、初めてだったのだと思う。
プライドと自信と、そして悔しさが入り混じった感情が、
こどもの目に、にじんでいた。

親として、子どもが苦しんでいる姿を見るのはつらい。
でも、それ以上に私は、「この瞬間を絶対に無駄にしたくない」と強く思った。


私たちがとった対応

私はすぐに教えるのをやめた。
代わりにこう言った。

「この問題ね、お父さんも10分はかかると思うよ」
「じゃあ、競争しようか」

娘は、きょとんとした顔をして、もう一度問題を読み始めた。
一緒に悩むということ。
すぐに答えを教えないこと。
でも、“独りにしない”こと。

親ができるのは、解法を教えることじゃない。“学ぶ姿勢”を一緒に作ることなのだと思う。

一人で抱え込ませるのではなく、
でも甘やかすのでもない。
その“絶妙な間”を保つのが、親としての難しさであり、喜びでもある。


難問にぶつかったとき、親がすべき3つのこと

① 「分からない」は悪じゃない

「分からない自分」を責める子は多い。
でも本当は、「分からない」って最高なんだ。
だって、その瞬間こそが「考える」入り口だから。
親がそれを肯定してやらなければ、子どもは自分を否定してしまう。

子どもは大人以上に、「できる・できない」で自分の価値を決めがちだ。
でも、「できなくていいんだよ」というメッセージを、
親が心から信じて届けてやることで、
子どもは安心して挑戦できるようになる。

② 時間をあける勇気

その日は、結局答えは出なかった。
でも翌朝。
娘はそのページを開き、もう一度取り組んだ。
すると――
「できた!」
そう叫んだ。

“寝かせる”ことの効果。
考える時間には、実は「発酵」がある。

目の前の問題を、今この瞬間に解く必要はない。
一度手放して、心のどこかで温めておくことで、
翌朝、まるで魔法のように「わかる」瞬間が訪れることがある。

③ 解けた瞬間を宝物にする

私は、こう聞いた。
「どうして、解けたと思う?」
すると娘は言った。
「うーん…昨日の夜、お風呂に入ってるとき、ずっと考えてた」
それは、“粘り強く考える”という力を手に入れた瞬間だった。

正解そのものよりも、**「どうやってそこにたどり着いたか」**を語らせる。
その言語化こそ、思考力を言葉に変える魔法だ。

そして、子ども自身の中で、 「私は、あの時あきらめなかった」という記憶が、
次の“壁”を超えるための糧になっていく。


難問が教えてくれること

“難しい問題”は、答えよりも「姿勢」を試してくる。

  • すぐにあきらめるのか?
  • 泣いてしまうけど、立ち上がれるのか?
  • 時間を空けてもなお、再挑戦できるのか?

偏差値では測れない力。
桜蔭中学や、思考力型の入試で本当に問われているのは、
こうした「向き合い方」そのものなのだと思う。

思考力重視の時代において、
「分からなかった問題を、どう解いていくか」その過程こそが、
今後の社会で最も重視される“資質”になっていく。

困難を前にしても、自分の頭で考え抜く力。
それは、勉強だけでなく、生きていく上で何よりの武器になる。


終わりに:壁に出会えた日は、前に進んでいる証拠

翌朝、娘がふとつぶやいた。
「昨日のあの問題、今日すっごく面白かった」

ああ、この子は、
“壁”を“扉”に変える瞬間を、超えたのだと私は確信した。

子どもが難問にぶちあたったとき、
それは「伸びしろ」が開く音だ。

親である私たちにできることは、
その扉の前に立ち尽くす小さな背中を、
静かに、でも力強く支えてやること。

そして、その先で「解けた!」と叫ぶその声を、
人生の宝物として、記憶に刻んでいくことだ。

小学生の“考える力”は、まだ芽吹いたばかりかもしれない。
でも、その小さな芽は、間違いなく、時間をかけて大樹になる。

私たち親は、その根を支える土のような存在でありたい。
水をやり、見守り、ときに静かに寄り添いながら。


🌱 あなたのお子さんが“壁”に出会ったとき、

どうか慌てず、そっと隣に寄り添ってあげてください。

その時間は、決して無駄にはなりません。
それどころか、いずれ「宝物のような記憶」として、
親子にとって何より尊い財産になるのですから。

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