はじめに|誰もが知っている。それでも、誰も「本気で続けない」学習法
100マス計算──。
あまりにもシンプルで、誰でも知っている。 でも、その“意味”を本気で考えたことがあるでしょうか?
- 「古くさい」
- 「反復練習なんて今どきナンセンス」
- 「もっと応用力や思考力を鍛えるべき」
そんな声をよく聞きます。 確かに、それも一理あるかもしれません。
でも私は、言い切れます。
100マス計算は、子どもの「心の芯」をつくる修行だった。
この1年半、毎朝100マスに向き合ってきたわが子は、 計算が速くなっただけじゃありません。
もっと大きなもの──
- 諦めない心
- 感情に流されない力
- 自分と向き合う習慣
を、確かに手にしていきました。
この記事は、ただの計算練習の話ではありません。
「努力とは何か」「学びとは何か」を、家庭で一歩ずつ築いてきた記録です。
きっかけは、わが子の「何をやっても中途半端」だった
小学1年の夏。娘は、少しずつ文字も数字も読めるようになり、 市販のドリルも「おもしろい!」と言っていた時期でした。
でも──続かない。
- 3日で飽きる
- 間違えると泣く
- 「もう今日はやらない」の繰り返し
何をやっても「中途半端」。 でも、どこかで“何かを変えなければ”という焦りがありました。
そのとき、書店で手に取ったのが「100マス計算ドリル」。 「これだけは、毎日やってみよう」
──そう決めたのが、すべての始まりでした。
毎朝5時台。雨の日も、旅行の日も、100問の勝負
最初はとにかく大変でした。
- 起きるのがつらい
- 100問もあることに、うんざり
- 間違えると涙が止まらない
でも、続けると決めました。 親も一緒にタイマーを押し、そばで見守りました。 旅行にもプリントを持参し、 ホテルの机で100マスに向き合う日もありました。
1ヶ月、3ヶ月、半年。
やがて娘は、何も言わずに自分でプリントを取り出し、 時間を測って鉛筆を走らせるようになりました。
「100マスは、我が家の“朝の儀式”」
気づけば、娘にとって1日の軸になっていたのです。
100マス計算が育てた“5つの進化”
① 計算力が「道具」ではなく「武器」になった
文章題でも図形問題でも、 どこかで計算を求められる場面があります。
そのとき、娘は「計算で悩まない」子になっていました。
- 反射的に掛け算が出る
- 2桁の足し引きも迷わない
計算が“考える時間を奪わない”状態。 これは、応用力や思考力の土台になっていたのです。
② 自分との「記録勝負」が自己効力感を育てた
毎日、タイムを記録しました。
- 5分36秒 → 4分45秒 → 3分58秒
折れ線グラフにして壁に貼ると、 「昨日より早い」「今日はちょっと疲れてた」など、 娘は自分の変化に気づき始めました。
他人との勝負ではなく、「昨日の自分」を超える体験
これが、のちの全国統一小学生テストへの挑戦にもつながっていきます。
③ 「集中とは何か」が“体”でわかるようになった
100問。手を止めれば時間がロス。
途中でミスがあっても、顔をしかめても、 ペンを止めずに突き進む姿勢が育ちました。
- 机に座ったときの姿勢が変わる
- 書くスピードが滑らかになる
- 周りの音に気を取られない
集中とは“気持ち”ではなく“型”なのだと、 娘の姿から気づかされたのです。
④ 雑念・イライラ・気分を乗り越える「情動の制御」
人は、感情に支配されます。 でも、100マスには「感情で答えが変わる余地」がありません。
- イライラしても、解くしかない
- 眠くても、鉛筆は動かす
その繰り返しが、感情を切り離して行動する訓練になっていました。
学校の授業でも、理不尽な場面でも、 娘は「深呼吸してからノートを開く」癖がついていました。
⑤ 「継続」が“習慣”ではなく“誇り”に変わった
1ヶ月、3ヶ月、半年── 気づけば、1年半。
「100マスを続けている子」として、娘は自分を見つめるようになりました。
- 学校での計算が楽だと言われた
- 模試で時間が余った
- 「私、これだけは負けない」と口にした
習慣が、自己肯定感を生み、誇りになったのです。
よくある質問と、わが家の答え
Q. 毎日やるのは無理では?
→ 最初の30日は“親の覚悟”です。 一緒にやる・隣で見守る。それで“生活に組み込む”ことが最優先です。
Q. 飽きませんか?
→ 飽きます(笑)。 だからこそ、「飽きたあとにどう乗り越えるか」が人間力を育てます。
Q. 他の学習の時間を削るのでは?
→ 基礎が定着すれば、他教科の理解スピードが爆上がりします。
Q. タイムにこだわると雑になりませんか?
→ わが家では「速く、かつ正確に」の二軸で競わせています。 間違いが多ければ、タイムが速くても意味がないというルールを共有しました。
まとめ|100マス計算は、未来への“日々の祈り”だった
100マス計算は、派手じゃない。 SNS映えもしない。 でも、わが家にとって、これは祈りのような行為でした。
今日も無事に起きた。 今日も100問に向き合った。 今日も、昨日よりちょっとだけ強くなった。
そんな祈りを、1年半、毎朝積み重ねてきたのです。
勉強に王道はありません。 でも、「逃げない時間」を育てる道具は、確かにある。
その一つが、100マス計算でした。
これからも、娘がどんな難問に出会っても、 「私は逃げない。だって、あの日々があるから」と胸を張ってくれる。
そう信じて、明日もまた、机の上にプリントを置きます。
100問の勝負は、今日も静かに始まるのです。