■「本当に10時間も勉強して意味あるの?」
この問い、実は私自身もずっと心のどこかで抱えていました。
「集中力が続かないのでは?」 「ダラダラ時間だけ長くなるのでは?」 「そもそも小学生にそんな負荷をかけていいの?」
でも、ある日ふと気づいたのです。
もし“やらせている”のではなく、“自らやりたがっている”なら?
それはきっと、単なる勉強量の話ではなく、 “生きる力そのもの”を鍛えている時間になるのではないか。
そこで私は、娘と一緒に2つの学習パターンを本気で試しました。
- 1日3時間学習の日(ルーティンのみ)
- 1日10時間学習の日(全力で深める)
教材も、テーマも、学ぶ姿勢も同じ。 変えたのは「時間」と「密度」だけ。
見えてきたものは、想像以上に深いものでした。
■大前提:「10時間勉強しなさい」とは一度も言っていない
わが家では、勉強は「しなければならないもの」ではありません。
- 朝起きたら自然と机に向かう
- 本を開くのは“遊び”の延長線上
- 問題集を解くのは“自分の力を試す冒険”
そんな空気が家全体に流れています。
だからこそ、10時間でも娘は疲れません。 むしろ「やりきった」と笑顔で言えるようになるのです。
さらに言えば、10時間という数字に意味があるのではありません。重要なのは、**“何時間もかけて深く思考する経験を持つこと”**です。
10時間学習は、思考力・持久力・自律性を同時に伸ばす“特訓の場”なのです。
■DAY1:1日3時間学習の日|“守り”の学び
📘 学習内容(代表例)
- 百マス計算・漢字練習(30分)
- 読解問題1ページ(国語)
- ハイレベルワーク(算数)
- 読書&日記(30分)
✅ 良さ
- コンパクトで無理がない
- 1つ1つの確認に集中できる
- 読み直しや反復がしやすい
⚠️ 課題
- 難問を深く掘り下げる時間が足りない
- 書き直しや試行錯誤が後回しになる
- “やった感”はあるが、“伸びた感”は弱い
💬 娘の声
「今日は普通の勉強の日って感じ」
→ 知識の整理には向いているが、ブレイクスルーは起きにくい。
■DAY2:1日10時間学習の日|“攻め”の学び
📘 学習内容(代表例)
- 5:00〜7:30:朝ルーティン(計算・漢字・音読・英語)
- 8:30〜10:30:算数トップクラス問題集(難問2〜3問)
- 11:00〜12:00:アウトプット演習(記述・図解)
- 13:00〜15:00:理科・社会の読解系読書
- 15:30〜17:00:国語長文&記述強化
- 19:00〜20:00:日記・ふり返り・明日の作戦会議
✅ 気づいたこと
- 難問にじっくり向き合う“粘り”が育つ
- 書き直し・試行錯誤を何度も繰り返せる
- 疲労→休憩→回復→再集中のリズムが生まれる
💬 娘の声
「今日は脳がめちゃくちゃ動いた感じ!」
→ “質”が“量”に引っ張られて、飛躍的に上がった。
■1日で「伸びた実感」があるか?が分かれ目だった
最大の違いは、“やってよかった”という感覚の質と強さ。
- 3時間:やるべきことを淡々とこなした
- 10時間:「やりきった」という達成感が圧倒的
そして次の日に現れたのが、
- 記述の文章量が増えた
- 図解の精度が上がった
- 発言の論理性が高まった
「やれば変わる」は本当だった。 しかも、“本気でやった10時間”は、記憶や思考の構造を変えてしまうほどのインパクトがあるのです。
■学力の土台は「体力」と「空気感」がつくる
10時間勉強は、体力なしには成立しません。
娘はふだんから、
- 毎朝のランニング
- 週末の坂道ダッシュ
- 月1回の登山(20km超)
などを通じて、学習持久力を支える身体の土台を鍛えています。
そしてもうひとつの要素が、
「勉強している人が当たり前に存在している空気」
つまり、親もまた、読書・思考・仕事に静かに集中している。 勉強を“孤立した行為”にせず、“日常の一部”として存在させる。
これが、10時間学習を実現する“環境の本質”です。
■10時間学習でしか得られない“思考の深化”
10時間やると、ある瞬間から「別次元」に入ります。
- 問題を自分で作ってみようとする
- 書き直しの文章の構成が自然に整ってくる
- 知識同士が勝手につながり始める
これは「ゾーン」のような状態であり、 “考えることが楽しくなる領域”に踏み込んでいます。
この域に入るには、3時間ではどうしても短すぎる。 10時間やってこそ、思考の地層が深く掘れるのです。
■最後に|10時間学習は、「才能」を作る時間だった
最初から10時間できる子なんていません。体力も集中力も、試行錯誤も必要です。 でも、10時間やってみることでしか見えない景色がありました。
娘はこう言いました。
「今日のわたしは、昨日のわたしより強い。」
この一言に、すべてが詰まっています。
10時間学習とは、量の話ではありません。 「本気になった自分と向き合う時間」なのです。
そしてこれは、中学受験のためではなく、 どんな壁も乗り越える“生き方”を学ぶ時間だと、今は確信しています。
10時間やってみたからこそ、自信が生まれる。 10時間やり抜いたからこそ、娘の目が変わった。
その“熱量の記憶”が、未来の桜蔭合格へとつながると信じています。