小2の娘が見つけた「自分の夢」
「桜蔭に行きたい」——この言葉を初めて娘が口にしたのは、小学1年生の秋。まだランドセルを背負い慣れないその頃、娘はある1枚の学校案内パンフレットを食い入るように眺めながら、こう言いました。
「ここに通っているお姉さんたち、すごく賢そう。こんな風になりたい。」
正直に言えば、それまでは親である私の方が、桜蔭という学校に強い憧れを抱いていました。女子最難関校、知性と品格が両立する環境、医歯薬・理系進学に強く、東大理三・医科歯科医学部などにも毎年合格者を輩出する実績…。
親として、「こんな場所で学んでほしい」と思うのは自然なことかもしれません。しかし、子ども自身が“自分の夢”としてそれを語り始めた瞬間、私たち家族のなかに新たな風が吹き始めました。
桜蔭の文化祭に、娘は“準備”して参加した
昨年、我が家は桜蔭中学校の文化祭に参加しました。ただ「見学するだけ」ではなかったのが、我が娘らしいところです。
事前に娘は、「桜蔭の生徒さんに質問したい!」と言い出しました。そしてなんと、自分でノートに10人以上に聞くためのインタビュー項目をまとめたのです。
- どうして桜蔭に入りたいと思ったのですか?
- 毎日どれくらい勉強していますか?
- 好きな教科と、その理由は?
- 休み時間はどんな風に過ごしていますか?
…といった内容を、自ら書き出し、母親と一緒に文化祭へ。会場では積極的に声をかけ、1人ずつ質問して歩きました。
賢く、優しい「桜蔭生」との出会いがすべてを変えた
娘が出会った桜蔭の生徒たちは、誰もがきらきらと輝いていました。
特に印象的だったのは、当時小学1年生の娘に対しても、一切見下すことなく、むしろ言葉を選びながら丁寧に答えてくれたということ。小さな来場者にも誠実に向き合うその姿勢に、付き添った妻も感動し、思わず「桜蔭の生徒のファンになった」と言っていました。
娘はその日以降、桜蔭に対してただの「憧れ」ではなく、「絶対にあの学校に通いたい」という目標を口にするようになりました。
「お姉さんたちみたいになりたい。毎日たくさん勉強して、自分もあの制服を着たい」
この言葉には、親の影響ではない、確かな自発性がありました。
「親の願い」から「子どもの目標」へと変化した瞬間
もちろん、最初は親の方が情報収集をし、環境を整え、勉強の土台を作ってきたのは事実です。幼児期から絵本の読み聞かせ、百ます計算、毎朝5時起床の生活習慣、Z会や四谷大塚の家庭教材など、親の意志が先行していた部分は大きかったと思います。
しかし、いつしかその火は、娘自身の中で燃え始めていました。
文化祭後の娘は、自ら進んで難しい問題に挑んだり、記述力を鍛える日記を毎日1ページずつ書いたり、早朝ランニングまで取り入れるようになりました。誰に言われたわけでもなく、「あのお姉さんたちみたいになりたいから」と言って、自ら動き出したのです。
自走のために、家庭ができること
このような“自走”の芽生えを支えるために、我が家では以下のような工夫をしています:
- テレビなしの生活:そもそもテレビを見る習慣がなく、「なんとなく過ごす」時間を徹底的に排除。
- 空気感としての学び:親も読書や仕事をしながら近くにいて、「学ぶことが当たり前」という空気を醸成。
- 学習を特別視しない:10時間勉強しても褒めません。やるのが当たり前、という感覚を共有。
- 勉強は楽しいものと捉える:親が「勉強って面白いね」と口に出し、学びをポジティブに。
「桜蔭」はゴールではなく、自走の“出発点”
娘が「桜蔭に行きたい」と言ったとき、親として大切にしたいと思ったのは、その夢を“親のもの”にしないことでした。
子どもの夢は、親がレールを引くのではなく、火を灯すことだと今は思います。その火を燃やし続けるには、環境・習慣・言葉かけ——すべてが大切です。
桜蔭を目指すのは、ゴールではありません。娘が「学ぶことが好き」「知ることが嬉しい」と思い続ける、その第一歩に過ぎないのです。
おわりに:夢を、子どもの手の中に
私たち親にできるのは、子どもの夢が芽生えた瞬間に、
「それはあなたの夢だね。応援するよ」
と伝えてあげること。
娘の中で「桜蔭に行きたい」という言葉が、本物の目標に変わったとき、親としての私の役割もまた一歩進んだように思いました。
この先、何があっても、「自分の意思で選んだ夢」を大切にしながら、歩んでいってほしいと願っています。